2017年7月17日月曜日

マッターホルンから富士山に姿を変える!?石狩市浜益の「黄金山」


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嘗て道北に赴任していた頃、実家のある札幌に帰省する為には、国道231号を南下するのが一般的だったのだが、帰路の途中にある浜益の辺りで、左手(東方向)に見える奇妙な形の山が気になっていた。

北斎の描く浮世絵に出てくる富士山に似た形の山で、近くにある一般的な形の山とは明らかに雰囲気が異なる。地図で確認したところ、どうやら「黄金山(こがねやま)」という名前の山で標高は739.1mあるらしい。


↓この冗談みたいな形の山が「黄金山」だ。

興味深い形だ…
「こりゃまた随分と面白い形の山だべさ」と思ったのだが、当時は登ってみようとまでは思わず、また登山道が存在するのかどうかも知らなかった。





時は流れて、札幌近郊の職場に勤めるようになった頃のこと。

丁度セロー225というバイクに乗っていた時で、行先も定めずあちこちフラフラとそのセローで漂っていたのだが、ある日当別町青山から浜益へ向けて走っていた時、久し振りに「黄金山」の姿を拝むことになり、その際国道からKonica Q-M200というボロいカメラで写真をかなり撮った。

ところがその写真なのだが、当時はパソコンのHDD(確か40GBしかなかった)ではなく、安物のCD-Rに保存していたため、殆ど全てのCD-Rが読み取り不能となってしまい、当時の写真は全く残っていない…。(※ちなみに上の写真↑は今年の6月に改めて撮ったものである。)




ということで、山に登ってみる訳ではないのだが、写真だけはもう一度撮っておくことにしようと、今年の4月中旬とゴールデンウィーク、及び6月に、「黄金山」のある浜益方面に出かけたので、備忘録+アルバム代わりにブログに記録しておくことにする。

まずは、これが黄金山の地図だ。
 

登山口へ至る林道の入り口は、浜益川から来る場合は「実田橋」を過ぎてすぐ左側、滝川・青山方面からくる場合は、「実田橋」手前の右側にある林道の起点で、看板が設置してある。





★まずはゴールデンウィーク前の4月中旬に写真を撮りに行った時の話から。

国道451号を浜益方面に向かって走って行き、当別町と石狩市の境界の峠を越えてしばらく走ると、浜益川沿いの国道が、御料地の手前で左にカーブしている場所がある。

そのカーブを過ぎると、突如前方に「マッターホルン」みたいな形をした山が現れる。

おお!マッターホルンか!?
パラマウント映画の冒頭に出てくるマッターホルンみたいで、これは中々にインパクトのある光景だ。4月半ばだったので、まだだいぶ雪が残っているのも、それらしく見える一因だろう。



更に浜益方面に向かって国道を進んでいくと、山の形状の全貌が見えて来る。

山の全容
この地点から見ると、「マッターホルン」というより、「削るのに失敗した鉛筆」みたいに見えなくもない。




これ御料地の辺り(多分?)から見た黄金山。

だんだん富士に似てきた
この辺りまで来ると、富士山にかなり似て来る。



実田から、ちょっとだけ山側の集落の道に入って撮った写真。

実田の集落から撮影
ここから見ると、だいたい浜益方面から見るシルエットと似た感じになる。

御料牧場や登山口の林道にはまだ残雪が多くて、車で入ることは出来なかったので、この日は撮影はここまでにして、帰路に就くことにした。





★ゴールデンウィーク前半に再び撮影に行った時の写真。

4月下旬のある日、写真撮影の為に、前回と同様国道451号を浜益方面に向かい、実田橋の手前にある「黄金山登山道入口」の標識を右折する。

「黄金山登山道入口」の標識を右折
標識


登山道入り口はこんな感じ。

奥に続く林道が登山道
看板の拡大写真
黄金山への登山口(徒歩による登山道の入り口)はここから4km先にあるらしい。



それでは少しでも黄金山に近づいて写真を撮る為に、この林道を進んでみよう。

奥に入ろう


少し行くとこんな看板が。

注意看板
森林管理局の管轄のようだ
北海道森林管理局の管轄らしいから国有林なのだろう。



さらに奥に進む。

奥へ進む


すると残雪が…。

行けるかな…
この箇所は何とか乗り越えて先に進んだのだが、この200m程先にも残雪があり、危うくスタックしかかった。

石器人の乗っているボロ車は、一応4WDではあるのだが、センターデフの代わりにトリブレードカップリングと呼ばれるビスカスみたいな流体カップリングで後輪に駆動力を配分するという、所謂スタンバイ4WDと呼ばれる方式を使っている車なので、パートタイム式やセンターデフを直結できるタイプの4WDと比べると、こういう状況ではトラクションの面で明らかに不利になる。

カップリングで動力を後輪に伝達する機構上仕方がないのだが、こういう雪道や泥道では、まず前輪がある程度空転してからでないと後輪に駆動が伝わらないのだ。

生活4駆の為、LSDなどという洒落た物も装備しておらず、このまま進むのは無理と判断して、国道まで引き返すことにした。



今度は国道を少し戻って、この「堵止木林道」に入ってみよう。

林道入り口
読み方がわからん…
「堵止木林道」とあるのだが、読み方が分からない…。「ツシキ」?、「トシキ」?、「カキドキ」?

いったい何と読むのだろうか??




それはそれとして、林道の奥に行ってみよう。アラッ…?

また残雪…
こちらも残雪で、これ以上は進入不可能…。




仕方なくまた国道まで戻って、今度は隣の「黄金沢農道」から入ってみよう。

黄金沢農道入口



牧草地に出る。

御料地牧場だべさ
ここが地図上に記載されている「御料地牧場」だろう。牧草地の中に車の轍はあるが、これ以上整備された道らしいものは確認できなかったので、ここでストップ。



「御料地牧場」から見た「黄金山」の写真。

牧場からみた「黄金山」
以上、「黄金山」に近づいて写真を撮る為に、目に付いた林道は全て(多分)進入してみた。

丁度陽も傾いてきたし、この日はもうこれ以上やることもなくなったので、帰路に就くことにしたのである。





★6月中旬にドライブに行った時に撮った写真。

6月中旬の天気のいいある日、浜益方面にドライブに出かけることにした。

で、その時に、浜益側から「黄金山」の写真を撮っていなかったことを思い出し、国道231号沿いの浜益区川下から、水田地帯を通る農道に入り込んで撮影してみた。

これがその時の、冒頭でも使った「黄金山」の写真だ。

川下の水田地帯から見た「黄金山」
やっぱり、北斎が描いた富士に似ている…。



ズームでもう一枚。

ズーム


川下から実田方面に抜ける農道の途中で。

裏道農道から


拡大してみよう。

しかし急斜面だな…
山の斜面は結構な傾斜角だ。



面白そうなので、頂上付近の角度を測ってみよう。

45°もあるぞ

おおっ!左側斜面の傾斜角が43度、右側斜面の傾斜角度は45度もあるべさ。

山に登る人ならお分かりだろうが、30度を越えたら山の斜面は相当急に感じるから、コレだと現地では相当のスリルを味わえるだろう。恐らく崖を登っているのと変わらない感覚なのでは?


もうひとつ面白いのは、上の方にある「マッターホルン似」の写真からもわかるとおり、浜益側から見える「富士山」チックなこの山は、横から見たら頂上付近の山体の厚みがかなり薄いのだ。

図で描くとこんな感じだろうか。


まあコレは冗談だけど、頂上付近は本当に厚みが無いらしい。





という訳で一度は登ってみたい面白そうな山なので、ネットで色々と「黄金山登山」について調べてみた。

国道から4km入った登山口迄は車で行けるらしいし、車が10数台程停められる駐車場や立派なトイレもあるようだ。登山口から山頂迄は2㎞程で、ゆっくり登っても2時間もかければ登れる山らしいので、機会があれば是非ともチャレンジしてみたいものだ。



(続く)  (前回)



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2017年6月17日土曜日

台風被害を受けた清水町旭山の別荘地は今どうなっているんだべ?


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もう十数年前になるだろうか、十勝方面をドライブしていた時、偶然に日高山脈の麓にある清水町旭山の別荘地に入り込んだことがあった。

札幌方面から日勝峠を越えて国道275号線を進み、清水町市街の手前で道道55号へ右折した後、旭山から道道859号旭山線へまた右折し、剣山の麓にある剣山神社という所に寄ってみようと思ったのだが、神社へ行く途中にある右手のト字分岐の細い道がなんとなく気になったので、ボロ車でその怪しげな?林道に恐る恐る入ってみた。

すると何やら林の中に、何軒かの建物が建っているのが見える。こんななんも無いとこに人家があるのか?と最初は不思議に思ったのだが、建物の感じからすると、どうやら「別荘地」の様だ。



場所はここらへん↓。

   





で、その旭山の別荘地なのだが、雑木林の中の広い敷地にポツポツと別荘が建っていて、その別荘も手作り感を前面に押し出している物が多い。例えばこんな感じ。

掃除が楽そうな大きさだ
中で寝転んだままでも、大抵の物には手が届きそうな建坪だ。恐らく3坪くらいだろうか?



偶にはこんな普通の家と同じような物件もあるのだが

上のやつに比べりゃかなりデカい


しかし、この手の別荘よりも、やはり手作り感満載のミニ別荘の方がどうしても目に付く。中にはこんな建物もあった。

山深い森の中に忽然と現れる物置?
最初は物置かと思ったのだが、人里からエラく離れているこの山の中の場所に、わざわざ物置を設置する意義を見い出せなかったので、多分これも「別荘」なんだろう、という結論に落ち着いた。

それにしても、こういうタイプの別荘というのは「Simple is Best」を地で行く感じで、石器人が理想とする棲み家にかなり近くて羨ましい。




さて、車がすれ違うたびに譲り合いをしなけりゃならない程狭い、別荘地内の林の中の砂利道を走って行くと、こんな売地の看板も結構見かける。

売地の看板



山の方向に向かって川沿いの細い林道を更に進んで行くと、どうやら最終人家らしい場所に辿り着いた。

最終人家 人の気配は無い

人が住んでいる気配はないから、おそらく別荘だろう。ちなみにこの建物だが、後日ネットで不動産物件を検索したら売りに出されており(価格は失念した)、その後暫くしてから売約済みとなって、売り物件一覧から消えてしまった。


という具合に一通り別荘地内を巡ってみた結果、石器人はすぐにこの場所が気に入ってしまったのだ。

街からはかなり遠いし、冬の間はちゃんと除雪されるのだろうか?、冗談ではなく羆が玄関まで来るんじゃないべか?、などの心配な点はあったのだが、とにかく自然を満喫する暮らしがしたいのなら最高の場所である。誰に気兼ねすることなく、黒板五郎並みの暮らしが出来そうだ。



そんな訳で、家に帰ってから早速ネットで清水町旭山の売地物件を検索したのだが、まず土地価格の安さに驚いた。当時で2~300万も出せば、千坪以上の土地が買えたのである。中には100万で数百坪の区画もあったのだが、そこはどうやら電気を引くのに費用を自己負担する必要があるらしかった。

別荘地、と言っても単一業者が取り扱っている訳ではなく、様々な不動産業者や中には地主が直接売り出している物件もあったのだが、全てに共通して言えることは、上下水道が無いので、井戸の掘削は必須で、便所はボットンか合併浄化槽ということになるようだ。



石器人は、その時にはもう既に石狩管内の山の中に家を建ててしまっていたので、現実的にはこの土地を買う予定はなかったのだが、とにかくその場所は気になっていて、毎年ドライブがてら様子を見に行ったり、ネットで旭山の売地物件の価格調べなどをやっていた。ちなみに、定住者もある程度いるようで、冬に訪れた時には最終人家までの道路は除雪されているのを確認できた。





時は流れて、去年(2016年)北海道を襲った連続台風の話である。

8月の中旬から台風7号に始まって、その後続けざまに何度かの台風が北海道に上陸したのだが、最後にやってきた台風10号による大雨が、道内各所に甚大な被害をもたらした。

それは上記の清水町旭山地区も例外ではなく、日高山脈を源流とする久山川上流にあるこの別荘地でも、川の氾濫によって林内への土砂流出や、道路の寸断などの被害に見舞われたらしい。

「らしい」というのは、日勝峠の手前側が崩落してしまい、国道274号が通行止めとなったのをはじめとして、清水町内の旭山方面に向かう道路も被害を受けて、現地に入れなくなり、ニュースやネットの乏しい情報でしか現場の状況を知ることができなかったからである。





で、その翌年、つまり今年2017年の話だが、そろそろ現地の状況も落ち着いてきたのでは?と思い、自分の目で確認するべく、6月の或る日に清水町旭山の別荘地に行ってみることにした。

日勝峠は未だ通行止めが続いているので、岩見沢~富良野~狩勝峠経由のルートで行くことに。


富良野より芦別岳から連なる山なみを望む。

山がきれいだ
↑写真が切れている左手に芦別岳があるのだが、生憎雲に隠れて見えなかった。



狩勝峠を越え国道38号を南下して、御影から日高山脈側に進む道へ右折する。

御影から旭山方面への農道に右折



羽帯南10線を左折して旭山方面へ

右折


行くつもりだったのだが…

行けない…
ありゃ~、通行止めだ…。


仕方ないので、少し戻ってから旭山線に入り、山側を目指す。少し行くと芽室川に架かる旭山橋がある。ここも氾濫したらしいが、かなり復旧は進んでいる様だ。(地図地点A)

地図地点A 旭山橋
上流方面
下流方面
下流の被害の爪痕其の1
下流の被害の爪痕其の2


橋を過ぎて更に進む。左手道なりに行くと旭山の集落に出るのだが、台風被害の状況を見る為に、右手の分岐方向に寄り道してみよう。(地図地点B)

地図地点B 寄り道の為に右折


ちょっと行った先で、日高山脈側に左折。

山側に左折


次の十字路を友山方向に右折すると、林内には川の氾濫で流出した土砂が白く残っている。

上流側 白っぽいのが流出土砂
下流側 土砂がびっちり
この状況から推察すると、林の中は水浸しだったと思われる。



中野川に架かる「友山橋」にも行ってみた。ここも結構な氾濫具合だったようだ。(地図地点C)

地図地点C 友山橋
上流側
下流側其の1
下流側其の2
下流側別荘にも被害が…



付近にある別荘地も被害を受けている様だ。

深く抉れた別荘地
別荘の敷地内にも土砂が…
物置にも被害が




さて今度は、旭山の集落で道道55号から右手の剣山方向に分岐している道道859線をしばらく進み、途中にある右手の細い道へ右折する。(地図地点D)

地図地点D 道道859号から右折して林道を進む



道の途中にある被害を受けていない別荘。

こちらの別荘は無事だったようだ



この林道を横断する沢に設置された暗渠も被害を受けている。(地図地点E)

地図地点E  大したことがないように見えるが…
下流側は結構抉られている


林道の先にあるドン突きを左折して、山側に向かう。

行き止まりを左折する


左折後に山側に延びる林道。この先に例の「最終人家」がある。

路肩が傷んでいる


山側を目指して進んで行くと

流木が…
道の脇に流れてきたらしい木が片付けられている。


もう少し先に進むと(地図地点F)

地図地点F 盛土補修跡
道路を横断する沢の暗渠排水管がある場所だが、ここも氾濫したようで、車が通れる程度に簡易に盛土で補修した状態だ。

暗渠排水管のある沢の下流側はエラいことになってる…。

だいぶ削られてる…


暗渠排水管のある沢に流れてきたと思われる巨大な石。

流れてきた巨石其の1
流れてきた巨石其の2
車の大きさと比べてみて欲しい。こんなのがゴロゴロ転がってきたら人間は勿論のこと、家屋もタダじゃ済まないべな…。




最終人家を目指して、更に奥に進むと(地図地点G)

地図地点G 工事中だ…
通行止めかい
工事中で通行止めである。通行止め看板の少し先で、道が抉れているのがわかる。

ほほう、そうかい…。この先の道路は、未だ復旧の途中ということらしい。だけど、この先にある、あの最終人家には、台風の際に人は滞在していなかったのだろうか?

まあ、定住住宅ではなく別荘で、且つ無人状態だったとすれば、今頃補修工事をしても問題ないのかもしらんけど。





という訳で、最終人家まで行ってみる方法は無くなったので、名残惜しいけど帰路に就くことにしたのだった。あの様子ではまだ暫くかかりそうだから、秋口にでももう一度行ってみることにしよう。


(続く)  (前回)



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2017年5月4日木曜日

再び秘境に逆戻り? 崖山(きりぎしやま)


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昭和52年に初版が発行された北海道撮影社(懐かしい!「北の山脈(やまなみ)」を思い出すべさ…)発行の「北海道の山と谷」という登山ガイドの本が家にある。

石器人が所持しているのは昭和58年の改訂版なのだが、道央の山は無論のこと、道南、積丹、増毛、夕張・芦別山塊や、大雪、知床、日高山脈、それに天塩岳、利尻山などの道北の山まで網羅されていて、読んでいるだけでも非常に面白かった。

で、その本の中でも石器人が特に興味を惹かれたのが、芦別岳の北尾根続きにある崖山(きりぎしやま:標高1,060m)」という名前の山だった。

本に拠れば、「恐竜の背を思わせる特異な形状の岩稜(P.146より引用)」の山のようで、「数多くの未踏壁が残されている(P.146より引用)」らしい。石器人には岩登りの趣味は無いのだが、この「恐竜の背を思わせる~」というくだりが妄想を掻き立てられて気に入ってしまった。

当時は登山道は無く、本に載っていた4つのルートも、いずれも沢詰め、藪漕ぎ必須、或いは残雪期限定の難コースのようで、「一般向けの山ではない」という一文もどことなくそそられる。



これが崖山の地図。
  



こちらが崖山の航空写真だ。
  

画面左下の+(拡大)ボタンを押せば、崖山から南に延びる尾根(岩稜)に岩が露出している様子が確認できる。




ところで、「北海道の山と谷」に記載されているルートは、以下の4つである(P.146より引用)。

①芦別岳北尾根から惣芦別川本流の右股沢上流に降りて、岩稜の南端に取り付くコース。

②惣芦別川沿いの林道から、沢詰めして岩稜南端に取り付くコース。

③サキペンペツ川沿いの林道から「小さな本沢(おそらく白面沢のことかと思われる)」の源頭まで遡行し、尾根を乗り越えて惣芦別川左股沢の上流に降り、そこから遡上して岩稜の北端に取り付くコース。

④御茶々岳の北にある極楽平から尾根伝いに中天狗岳を経由して、崖山の山頂に至るコースで、本には「残雪期のみのルート」とある。


当時、地形図と照らし合わせながらどのルートがいいのか色々と想像してみたのだが、①のコースについては、一旦芦別岳の北尾根まで登ってからからのコースということで、体力的、時間的に相当きついコースになりそうだ。

これは③のサキペンペツ川沿いのコースにも言えて、こちらも距離が長くかなりきつそうなコースだと思われる。なんといっても一旦登った尾根からまた降りなければならないのがつらそうだ。

④のコースについても、極楽平まで登ってからが始まりとなる為、残雪期であっても相当きついコースだろう。


この4つのコースの中で、アプローチの距離などを考慮すると、②の惣芦別川沿いの林道から、沢詰めして岩稜南端に取り付くコースが、体力的・時間的に一番無難なルートに思われる。





などと妄想していたのだが、その後どうやらアプローチが改善されたらしく、「日帰り登山も可能になった」という情報も知ったので、「いつか行ってみるべ」と思っていた。

ところが!である。

そうは思いながらも、日々の暮らしに追われて中々行く機会も掴めないまま過ごしているうちに、いつの間にやら、なんと崖山一帯が高山植物保護の為に入山禁止となってしまったのだ!

その経緯については、空知森林管理署の崖山高山植物保護林における入山制限の取組みというページで詳しく解説されているのだが、それに拠ると、芦別-三笠間の国道開通以後、日帰り登山が可能となり登山者が急増して、現地の希少な高山植物が荒らされた(大量盗掘もあったらしい。不届き者めが!)ための措置のようだ。

現在では、応募者を募って抽選で当選した者だけが参加できる「モニター登山」という行事だけが、崖山に行ける唯一の方法らしい。

ということで、「いや~、入山禁止になる前に登ってみればよかったべさ」と今更後悔しても手遅れでした、という残念なお話である。





追記。

崖山についてネットで検索する際は、ただ「崖山」で検索しただけではなかなか関連する情報が出てこない。「崖山」+「きりぎしやま」と、ひらがな表記も一緒に入力して検索してやれば、崖山の登山記録のあるサイトなどがヒットするようだ。



(続く)  (前回)



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2017年4月3日月曜日

野花南のピラミッド山近くにある周堤墓群


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芦別市の野花南に、丸山(芦別市野花南のピラミッド?「丸山」参照)という奇妙な形をした山があることは以前にも書いた。

現地に行って山頂まで登ったりしてみたのだが、山自体が何かの遺跡かもしれないと考え、帰ってからも丸山について色々調べている内に、その丸山の近くに縄文時代の遺跡が存在することがわかった。

それが「野花南周堤墓群」という名称の遺跡で、文化庁の文化遺産オンラインや北海道の北の縄文(野花南周堤墓群(芦別市))のサイトに、遺跡に関する概略の記載がある。

で、それらのサイトにある簡単な説明だけでは満足できず、実際にこの目で確かめてみようと思い立ち、2004年の夏(だったと思う)に現地に行ってみることにしたのである。



芦別から国道38号を富良野方面に向かって進むと、野花南大橋手前の交差点に遺跡の看板があるので、そこを右折する。地理院の地形図に拠れば47線と思われる農道を、1Km余り南下してから十字路を左折して、根室本線の線路を渡る。

これが地図。

   

地図上の淡いオレンジ色のマークが「野花南周堤墓群」で、濃いオレンジマークが丸山である。

線路を渡って右手に曲がり、線路沿いに南下するのだが、畑の真横なのでこの道路が農家の土地なのか公道なのかよくわからない。ネットで調べた限りでは私有地と国有地が混在している遺跡らしいが、侵入の許可を取ろうにも周りに人っこ一人いない…。

仕方なくそのまま進んでいくと、左手の畑の端の方に周囲を柵で囲まれた「野花南周堤墓群」遺跡が見えてくる。

線路沿いから左折して、農道の行き止まりに車を停める。そこから斜めに伸びている進入路を徒歩で歩いて行くと、柵で囲まれた周堤墓群の入り口に「芦別市教育委員会」による説明書きの看板が立てられている。

この看板が立っている箇所が、どうやら「1号周堤墓」と呼ばれる場所らしい。遺跡自体は思ったよりも小規模で、直径(外径)はおよそ25m、周堤の高さは30cm程とかなり低く、周囲を囲む柵がなければ見つけられなかったかもしれない。周囲の柵のさらに外側には、7,8本の立ち木が周りを囲むように点在していた。

「1号周堤墓」の内側は、大きめの石が無造作に転がっているような感じで、見た感じでは配置に規則性は感じられない。この転がっている石というのが、どうやら昭和37年に復元配置されたものらしい。周堤墓の内径は15m程であり、千歳のキウス周堤墓群よりもかなり小さい。

その「1号周堤墓」のすぐ北側にも直径11m程の 「2号周堤墓」という遺跡もあるのだが、パッと見「ただのくぼ地」みたいにしか見えない。

「1号」、「2号」共に、「直接見られる日本一大きな縄文時代のお墓」と言われる「キウス周堤墓群のスケールには遠く及ばないのだが、周囲ののどかな風景と調和した雰囲気はなかなかいいと思う。見学中に根室本線の線路を列車が通ったのだが、空知川と線路に挟まれた遺跡というのも、いかにも鄙びた土地という感じがして、何やら自然に気持ちが和んだのを憶えている。


ところで、現地では写真を結構撮った筈なのだが、保存先をHDD(当時のPCは容量が40GBしかなかった)ではなくCD-Rにしており、一番安いメディアを買った所為かこれが裏目に出て、殆どのCD-Rが読み取り不能となってしまった…。1号、2号の両遺跡とも、かなりの枚数の写真を撮っていただけに本当に残念だった。


仕方ないので、代わりにGoogleの航空写真でも載せておこう。

   

地図と同様、淡い方のオレンジ色のマークが「野花南周堤墓群」」である。左下の倍率ボタンを操作して拡大すると、1号周堤墓の輪郭がはっきり見える。





という訳で、この場所では特に眩暈なども感じることはなく「野花南周堤墓群」遺跡の見学は終わり、帰りに野花南ダムに寄り道して、例の「丸山」を拝んでから家路に就いたのだった。


(続く)  (前回)



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2017年3月18日土曜日

神居古潭ストーンサークルを探すべ!


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深川市方面から国道12号を通って、旭川市に向かう途中の石狩川沿いに「神居古潭」という場所がある。旭川有数の景勝地らしいのだが、ここはまた「竪穴式住居跡」「ストーンサークル」などの、縄文時代の遺跡がある場所でもあるのだ。

最初にこの遺跡の存在を知ったきっかけは、ネットで「神居古潭」を検索していて出てきた北海道環境衛生部の北の縄文(神居古潭ストーンサークル遺跡(旭川市))というサイトを見たことからで、その中の「旭川市神居古潭ストーンサークル遺跡は、神居山中腹の標高213mの平坦面にあります」という記述を読んで、いつかは行ってみたいと思うようになった。

その後、神居古潭の遺跡についてネットでいろいろ調べていたら、上記のサイトよりもっと詳しい「ブナ林と古代史」というサイトの中の神居古潭ストーンサークル(神居古潭5遺跡)というページを見つけた。

そこに載っていた地図に拠ると、「旭川市神居古潭ストーンサークル遺跡」は、どうやら神居古潭トンネルのすぐ上辺りに位置しているらしいことがわかった。その地図(ページの中段にある地形図)に記してある遺跡記号で言えば、「53」という番号の箇所のようだ。

これでおよその位置も掴めたので、雪が無くなって地表が確認できる時期に、一度訪れてみるべと計画していた。





ということで2003年の6月のある日、「神居古潭ストーンサークル」に行ってみるべく、旭川に向けて出発したのである。


Googleの地図ではこの場所になる。

   

神居山から下る尾根上のオレンジ色のマークが、「神居古潭ストーンサークル」があると思われる場所である。



国道12号神居古潭トンネルの手前で「神居古潭」に向かう左側の道に折れ、駐車場に車を停める。

で、せっかくここまで来たのだからと、まずは「旧神居古潭駅」などを見学してみる。

旧神居古潭駅舎
ここは嘗て納内と伊納との間にあった路線上の駅で、現在はこの区間は別ルートに切り替えられ廃線となったので、駅舎だけが残っているようだ。

この駅舎、北野誠の「おまえら行くな!」で心霊スポットとして有名になってしまったが、昼間見る限りでは、何ら怪しい雰囲気を感じさせない、静かな環境にある建物である。





さて、肝心の目的であるストーンサークルの探索の話である。

地形図で確認すると、道道57号と国道12号の合流点近くに、「神居古潭ストーンサークル」があるとされる213.2m峰近辺に延びる歩道の起点があるのだが、さすがにそこまで戻るのは面倒なので、今回は神居古潭トンネルの上を藪漕ぎしてストーンサークルを目指すことにした。

車を通行の妨げにならない路肩に停めて、ほぼ南方向となる213.2m峰を目指して藪漕ぎして行くのだが、笹丈はそれ程高くないので、藪漕ぎ自体は比較的楽だった。ただ笹の葉っぱの裏側に大量のマダニがいるので、なるべくそれらに接触しないように登っていくのだが、どうしても服にダニが付いてしまう…。

時々立ち止まってダニを払い落しながら、漸くストーンサークルがあるとされる213.2m峰に続く尾根の上に出た。その213.2m峰の南東方向に目的の遺跡がある筈なのだが、南東に暫く歩いて見てもストーンサークルらしきものは見えない。パッと見、笹藪と灌木の所為で地面の状態がよくわからないのだ。

通り過ぎたかな?と思って逆方向に向けて尾根上を戻ってみたら、今度は213.2m峰頂上と思われる場所に出てしまった。

場所的には、今歩いてきた尾根上にあるのは間違いない筈だが、今回はどうしても見つけることが出来なかった…。

前述の道の環境衛生部のサイト、北の縄文(神居古潭ストーンサークル遺跡(旭川市))に、「1990年の試掘調査で、遺跡の主要部分の表土を剥いで配石の状態を確認して全容がわかりました」という記述があり、大々的に掘り返したという訳ではないらしいので、どうやら十数年経過するうちに、自然の状態に戻ってしまったということなのかもしれない。それともただ単に眼が悪い(裸眼視力は両方とも0.1以下)だけの話なのだろうか?…



遺跡を確認できなかったので当然写真も撮っておらず、仕方がないので代わりにGoogleの航空写真でも載せておくことにする。

   

オレンジ色のマークが「神居古潭ストーンサークル」があると思われる場所なのだが、拡大して見ても何が何だかさっぱりわからんな…。





という訳で、一応自分自身の足で「神居古潭ストーンサークル」遺跡の付近を歩いたことだけは間違いないようなので、取り敢えずの目的は遂げたと自分に言い聞かせ、車を目指してダニだらけの笹薮に再び突入して行ったのだった。


(続く)  (前回)



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