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2018年3月1日木曜日

人間の育たない土地「音更のオチリシ」とは何処にあるんだべ?


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以前「更科源蔵氏編の"アイヌ伝説集"が面白いべさ」で、音更にあるという「人間の育たない土地"オチリシ"」について触れたのだが、それからというもの、その「オチリシ」という場所が気になって仕方がなくなった。

「アイヌ伝説集」に拠れば

-音更川沿岸にオチリシというところがある。オチリシとは二つの山の尾根や高台の先が向き合したところで、そうしたところは両方から神様が降りてくるところなので、本来は良いところであるが、良すぎてそういうところには人間が部落をつくれないといわれている。この音更川のオチリシも、昔は部落のあったところだが、神様のおりてくるところであるために、若死にをしたりしてついには部落がなくなってしまった。- (更科源蔵氏編「アイヌ伝説集」P.190より引用)

とのことで、強烈なパワースポットみたいな場所なのかもしれない。


で、上記の引用文の中に「オチリシとは二つの山の尾根や高台の先が向き合したところ」という記述があったので、石器人は当初はてっきり下の図の様な場所なんだべな、と想像していた。

当初想像していた「オチリシ」の図
尾根の先が向き合う場所と言えば、間に河川か道路を挟んだ上の図の様な場所が地形的には定番だと思っていたので、こんな感じの場所を想像していたのだが、ネットで「オチリシ」について調べていく内に知った、吉田巌著・北海道出版企画センター発行の「『人類学雑誌』篇(上) アイヌ史資料集 第二期第二巻 吉田巌著作編二ノ一」という書籍の中の「オチリシ」に関する記述を見ると、どうもそれとはニュアンスの違う書き方なのだ。

道立図書館から借りてきたその本がこれ。

人類学雑誌』篇(上) アイヌ史資料集 第二期第二巻 吉田巌著作編二ノ一


その「『人類学雑誌』篇(上) アイヌ史資料集 第二期第二巻 吉田巌著作編二ノ一」に拠れば

-「死に関するアイヌの観念と風習」
第一章 死に関する観念
 (一)死の原因
(四)方位がわるいために死ぬ。
 山なり高台なり、ちょうど一方と一方とから来た地脈の面が一つに合さって鼻をなした処をオチリシといつて、アイヌでは非常に嫌ってをる。是れはあらゆるカムイがあそこから降りる処であるといふ処から、あまり善過ぎて却つて悪いとしてある。
 もとこのオチリシの下にコタン(部落)があつてチセ(家)が少々あったが、皆死んだり色々してなくなった。一体方角が悪いのでアイヌは育たない。早く死ぬのであると音更アイヌ、イタクラが余の同地を辞して他アイヌ部落に転住せむとした時、彼はオベロベロプ(今の帯広)まで見送の道すがら、十勝川支流沿岸のオチリシについてまのあたり語つた処のものである。
 余の現住所ホピポイの西方数町の岩角もやはりオチリシと称するが、沙流アイヌについても同じやうな説明を聴くを得た。炉縁の角についても頗る忌むことは夢の説話等にも尽くした通り、これによって人を呪詛して死に導くといふ怖る可きものと考へられてある。
- (「『人類学雑誌』篇(上) アイヌ史資料集 第二期第二巻 吉田巌著作編二ノ一」P.121より引用)

ということらしい。



上記の「一方と一方とから来た地脈の面が一つに合さって鼻をなした処」という記述だと、こんな感じ↓の場所も考えられそうだ。

こんな感じ?
しかし、尾根と尾根が合流して鼻を作っている場所というのは、かなり珍しい地形でないんだべか?そういう希少な場所だから「神様が降りてくる場所」ということなんだべか…。

これは実際に「音更にあるといわれるオチリシ」を探し出して、どんな地形なのか確かめてみなければなるまい。


-


そんな訳で、今度はネットで「オチリシ」の具体的な場所を探し始めたのだが、あっさり貴重な記述があるサイトが見つかった。

それが「音更町史 交通・観光」というページ(本体サイトはどうやら無くなってしまった様で、現在はキャッシュでしか見られない)で、そのページの中段にある「音更、最初の道」の項目に


-要吉が父から聞いた話として音更最初の道の様子を「音更川岸に沿って上り下りの道と、高い丘の上を通った。いまの蓮佛さんの西の丘のオチリシ(山鼻)から十勝川へ降りた」という。明治17年(1884)、彼が4歳のときである。この話を現在に置き換えて説明すれば、音更川西岸に沿いに南下し、西高台を通り、鈴蘭公園の下に達し、そこから丸木舟で十勝川を越え帯広へ出たことになる。- (「音更町史 交通・観光」より引用)

という記述があったのである。



上記の「蓮佛さん」というのは、鈴蘭公園の隣にある「公園八幡宮神社」境内に建っているという、「蓮佛常蔵翁頌徳碑」のことであろうか?で、その西側の丘にオチリシがあるということなんだべか?




ということで、Googleの航空写真で確認してみることにしよう。

  

↑ポイント1の「蓮佛常蔵翁頌徳碑」がある「公園八幡宮神社」の西側は、人家が無い鈴蘭公園になっている。この鈴蘭公園は地理院の地形図で確認したら、周囲より一段高い台地上になっているようだ。

なるほど、緑の公園部分が「台地上」の「鼻」の部分ということか。という訳で、どうやらこの「鈴蘭公園」がオチリシである可能性が高そうだ。

人が住めない程の強力なパワースポットだから、神社を配して公園にしてあるということなのだろうか?


-


それにしても、現地は「台地状」にはなっている様だが、「一方と一方とから来た地脈の面が一つに合さって鼻をなした処がオチリシ」という条件には、山が離れすぎていて尾根の形も判然としないので、合致するのかどうかもよくわからない。

やっぱり春以降に現地に出向いて、実際にこの目で拝んでみるしかないか…。


※関連記事
2018年8月22日「アイヌ伝説集のパワースポット「音更のオチリシ」と思われる?音更町の「鈴蘭公園」に行ってみたべさ」
YouTube動画「アイヌ伝説のパワースポット「オチリシ」と思われる音更町の「鈴蘭公園」」


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2017年7月17日月曜日

マッターホルンから富士山に姿を変える!?石狩市浜益の「黄金山」


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嘗て道北に赴任していた頃、実家のある札幌に帰省する為には、国道231号を南下するのが一般的だったのだが、帰路の途中にある浜益の辺りで、左手(東方向)に見える奇妙な形の山が気になっていた。

北斎の描く浮世絵に出てくる富士山に似た形の山で、近くにある一般的な形の山とは明らかに雰囲気が異なる。地図で確認したところ、どうやら「黄金山(こがねやま)」という名前の山で標高は739.1mあるらしい。


↓この冗談みたいな形の山が「黄金山」だ。

興味深い形だ…
「こりゃまた随分と面白い形の山だべさ」と思ったのだが、当時は登ってみようとまでは思わず、また登山道が存在するのかどうかも知らなかった。


-


時は流れて、札幌近郊の職場に勤めるようになった頃のこと。

丁度「セロー225」というバイクに乗っていた時で、行先も定めずあちこちフラフラとそのセローで漂っていたのだが、ある日当別町青山から浜益へ向けて走っていた時、久し振りに「黄金山」の姿を拝むことになり、その際国道から「Konica Q-M200」というボロいカメラで写真をかなり撮った。

ところがその写真なのだが、当時はパソコンのHDD(確か40GBしかなかった)ではなく、安物のCD-Rに保存していたため、殆ど全てのCD-Rが読み取り不能となってしまい、当時の写真は全く残っていない…。(※ちなみに上の写真↑は今年の6月に改めて撮ったものである。)




ということで、山に登ってみる訳ではないのだが、写真だけはもう一度撮っておくことにしようと、今年の4月中旬とゴールデンウィーク、及び6月に、「黄金山」のある浜益方面に出かけたので、備忘録+アルバム代わりにブログに記録しておくことにする。

まずは、これが黄金山の地図だ。
 

登山口へ至る林道の入り口は、浜益川から来る場合は「実田橋」を過ぎてすぐ左側、滝川・青山方面からくる場合は、「実田橋」手前の右側にある林道の起点で、看板が設置してある。


-


★まずはゴールデンウィーク前の4月中旬に写真を撮りに行った時の話から。

国道451号を浜益方面に向かって走って行き、当別町と石狩市の境界の峠を越えてしばらく走ると、浜益川沿いの国道が、御料地の手前で左にカーブしている場所がある。

そのカーブを過ぎると、突如前方に「マッターホルン」みたいな形をした山が現れる。

おお!マッターホルンか!?
パラマウント映画の冒頭に出てくるマッターホルンみたいで、これは中々にインパクトのある光景だ。4月半ばだったので、まだだいぶ雪が残っているのも、それらしく見える一因だろう。



更に浜益方面に向かって国道を進んでいくと、山の形状の全貌が見えて来る。

山の全容
この地点から見ると、「マッターホルン」というより、「削るのに失敗した鉛筆」みたいに見えなくもない。




これ御料地の辺り(多分?)から見た黄金山。

だんだん富士に似てきた
この辺りまで来ると、富士山にかなり似て来る。



実田から、ちょっとだけ山側の集落の道に入って撮った写真。

実田の集落から撮影
ここから見ると、だいたい浜益方面から見るシルエットと似た感じになる。

御料牧場や登山口の林道にはまだ残雪が多くて、車で入ることは出来なかったので、この日は撮影はここまでにして、帰路に就くことにした。


-


★ゴールデンウィーク前半に再び撮影に行った時の写真。

4月下旬のある日、写真撮影の為に、前回と同様国道451号を浜益方面に向かい、実田橋の手前にある「黄金山登山道入口」の標識を右折する。

「黄金山登山道入口」の標識を右折
標識


登山道入り口はこんな感じ。

奥に続く林道が登山道
看板の拡大写真
黄金山への登山口(徒歩による登山道の入り口)はここから4km先にあるらしい。



それでは少しでも黄金山に近づいて写真を撮る為に、この林道を進んでみよう。

奥に入ろう


少し行くとこんな看板が。

注意看板
森林管理局の管轄のようだ
北海道森林管理局の管轄らしいから国有林なのだろう。



さらに奥に進む。

奥へ進む


すると残雪が…。

行けるかな…
この箇所は何とか乗り越えて先に進んだのだが、この200m程先にも残雪があり、危うくスタックしかかった。

石器人の乗っているボロ車は、一応4WDではあるのだが、センターデフの代わりにトリブレードカップリングと呼ばれるビスカスみたいな流体カップリングで後輪に駆動力を配分するという、所謂スタンバイ4WDと呼ばれる方式を使っている車なので、パートタイム式やセンターデフを直結できるタイプの4WDと比べると、こういう状況ではトラクションの面で明らかに不利になる。

カップリングで動力を後輪に伝達する機構上仕方がないのだが、こういう雪道や泥道では、まず前輪がある程度空転してからでないと後輪に駆動が伝わらないのだ。

生活4駆の為、LSDなどという洒落た物も装備しておらず、このまま進むのは無理と判断して、国道まで引き返すことにした。



今度は国道を少し戻って、この「堵止木林道」に入ってみよう。

林道入り口
読み方がわからん…
「堵止木林道」とあるのだが、読み方が分からない…。「ツシキ」?、「トシキ」?、「カキドキ」?

いったい何と読むのだろうか??




それはそれとして、林道の奥に行ってみよう。アラッ…?

また残雪…
こちらも残雪で、これ以上は進入不可能…。




仕方なくまた国道まで戻って、今度は隣の「黄金沢農道」から入ってみよう。

黄金沢農道入口



牧草地に出る。

御料地牧場だべさ
ここが地図上に記載されている「御料地牧場」だろう。牧草地の中に車の轍はあるが、これ以上整備された道らしいものは確認できなかったので、ここでストップ。



「御料地牧場」から見た「黄金山」の写真。

牧場からみた「黄金山」
以上、「黄金山」に近づいて写真を撮る為に、目に付いた林道は全て(多分)進入してみた。

丁度陽も傾いてきたし、この日はもうこれ以上やることもなくなったので、帰路に就くことにしたのである。


-


★6月中旬にドライブに行った時に撮った写真。

6月中旬の天気のいいある日、浜益方面にドライブに出かけることにした。

で、その時に、浜益側から「黄金山」の写真を撮っていなかったことを思い出し、国道231号沿いの浜益区川下から、水田地帯を通る農道に入り込んで撮影してみた。

これがその時の、冒頭でも使った「黄金山」の写真だ。

川下の水田地帯から見た「黄金山」
やっぱり、北斎が描いた富士に似ている…。



ズームでもう一枚。

ズーム


川下から実田方面に抜ける農道の途中で。

裏道農道から


拡大してみよう。

しかし急斜面だな…
山の斜面は結構な傾斜角だ。



面白そうなので、頂上付近の角度を測ってみよう。

45°もあるぞ

おおっ!左側斜面の傾斜角が43度、右側斜面の傾斜角度は45度もあるべさ。

山に登る人ならお分かりだろうが、30度を越えたら山の斜面は相当急に感じるから、コレだと現地では相当のスリルを味わえるだろう。恐らく崖を登っているのと変わらない感覚なのでは?


もうひとつ面白いのは、上の方にある「マッターホルン似」の写真からもわかるとおり、浜益側から見える「富士山」チックなこの山は、横から見たら頂上付近の山体の厚みがかなり薄いのだ。

図で描くとこんな感じだろうか。


まあコレは冗談だけど、頂上付近は本当に厚みが無いらしい。


-


という訳で一度は登ってみたい面白そうな山なので、ネットで色々と「黄金山登山」について調べてみた。

国道から4km入った登山口迄は車で行けるらしいし、車が10数台程停められる駐車場や立派なトイレもあるようだ。登山口から山頂迄は2㎞程で、ゆっくり登っても2時間もかければ登れる山らしいので、機会があれば是非ともチャレンジしてみたいものだ。



(続く)  (前回)



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2017年5月4日木曜日

再び秘境に逆戻り? 崖山(きりぎしやま)


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昭和52年に初版が発行された北海道撮影社(懐かしい!「北の山脈(やまなみ)」を思い出すべさ…)発行の「北海道の山と谷」という登山ガイドの本が家にある。

石器人が所持しているのは昭和58年の改訂版なのだが、道央の山は無論のこと、道南、積丹、増毛、夕張・芦別山塊や、大雪、知床、日高山脈、それに天塩岳、利尻山などの道北の山まで網羅されていて、読んでいるだけでも非常に面白かった。

で、その本の中でも石器人が特に興味を惹かれたのが、芦別岳の北尾根続きにある「崖山(きりぎしやま:標高1,060m)」という名前の山だった。

本に拠れば、「恐竜の背を思わせる特異な形状の岩稜(P.146より引用)」の山のようで、「数多くの未踏壁が残されている(P.146より引用)」らしい。石器人には岩登りの趣味は無いのだが、この「恐竜の背を思わせる~」というくだりが妄想を掻き立てられて気に入ってしまった。

当時は登山道は無く、本に載っていた4つのルートも、いずれも沢詰め、藪漕ぎ必須、或いは残雪期限定の難コースのようで、「一般向けの山ではない」という一文もどことなくそそられる。



これが崖山の地図。
  



こちらが崖山の航空写真だ。
  

画面左下の+(拡大)ボタンを押せば、崖山から南に延びる尾根(岩稜)に岩が露出している様子が確認できる。




ところで、「北海道の山と谷」に記載されているルートは、以下の4つである(P.146より引用)。

①芦別岳北尾根から惣芦別川本流の右股沢上流に降りて、岩稜の南端に取り付くコース。

②惣芦別川沿いの林道から、沢詰めして岩稜南端に取り付くコース。

③サキペンペツ川沿いの林道から「小さな本沢(おそらく白面沢のことかと思われる)」の源頭まで遡行し、尾根を乗り越えて惣芦別川左股沢の上流に降り、そこから遡上して岩稜の北端に取り付くコース。

④御茶々岳の北にある極楽平から尾根伝いに中天狗岳を経由して、崖山の山頂に至るコースで、本には「残雪期のみのルート」とある。


当時、地形図と照らし合わせながらどのルートがいいのか色々と想像してみたのだが、①のコースについては、一旦芦別岳の北尾根まで登ってからからのコースということで、体力的、時間的に相当きついコースになりそうだ。

これは③のサキペンペツ川沿いのコースにも言えて、こちらも距離が長くかなりきつそうなコースだと思われる。なんといっても一旦登った尾根からまた降りなければならないのがつらそうだ。

④のコースについても、極楽平まで登ってからが始まりとなる為、残雪期であっても相当きついコースだろう。


この4つのコースの中で、アプローチの距離などを考慮すると、②の惣芦別川沿いの林道から、沢詰めして岩稜南端に取り付くコースが、体力的・時間的に一番無難なルートに思われる。


-


などと妄想していたのだが、その後どうやらアプローチが改善されたらしく、「日帰り登山も可能になった」という情報も知ったので、「いつか行ってみるべ」と思っていた。

ところが!である。

そうは思いながらも、日々の暮らしに追われて中々行く機会も掴めないまま過ごしているうちに、いつの間にやら、なんと崖山一帯が高山植物保護の為に入山禁止となってしまったのだ!

その経緯については、空知森林管理署の「崖山高山植物保護林における入山制限の取組み」というページで詳しく解説されているのだが、それに拠ると、芦別-三笠間の国道開通以後、日帰り登山が可能となり登山者が急増して、現地の希少な高山植物が荒らされた(大量盗掘もあったらしい。不届き者めが!)ための措置のようだ。

現在では、応募者を募って抽選で当選した者だけが参加できる「モニター登山」という行事だけが、崖山に行ける唯一の方法らしい。

ということで、「いや~、入山禁止になる前に登ってみればよかったべさ」と今更後悔しても手遅れでした、という残念なお話である。


-


追記。

崖山についてネットで検索する際は、ただ「崖山」で検索しただけではなかなか関連する情報が出てこない。「崖山」+「きりぎしやま」と、ひらがな表記も一緒に入力して検索してやれば、崖山の登山記録のあるサイトなどがヒットするようだ。



(続く)  (前回)



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