2016年12月23日金曜日

鬼斗牛山と岐登牛山


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ある時期、なるべく国道を使わずに、行き当たりばったりに裏道を通って北の方に行ってみようと思い立ち、農道や町村道を駆使しての裏道ドライブを結構頻繁にやったことがあった。

大体は国道12号沿いの山側の裏道を使う場合と、国道275号と12号に挟まれた農道を使う場合の二通りのルートになるのだが、目指していた訳でもないのに、何故か決まって最後は同じ場所に到達してしまうことが続いた。


本当に意図的でもなんでもなく、極力国道を走らずに気持ちの良さそうな裏道を無計画に進んで行ったら、不思議と「とある二つの山」の近くに引き寄せられたのだ。

それが旭川市の北の外れに位置する「鬼斗牛山」と、東川町の北にある「岐登牛山」という、奇しくも同じ「キトウシ」という読み方をする二つの山である。





その「二つのキトウシ山」について書く前に、まずは一つ目の「鬼斗牛山」迄の経路について、ざっと説明しておこう。

国道12号沿いの裏道を行く場合は、砂川まで国道とほぼ並行して走る道道1130号か農道を経由する。その後止む無く国道12号を一時的に出るが、滝川市に入ってすぐまた、国道の東側を並行する農道へ。そして、丸加高原を過ぎた辺りで、再度国道12号へ出るのだが、それからまたすぐ、今度は道道94号へ左折して北上し、妹背牛の市外に出る。

妹背牛からは、道道47号と並行して北側を走る農道を経由し、コップ山の麓を通って道道98号の湯内に出るか、若しくは道道282号経由で秩父別まで行って、そこから中山峠を超えて多度志に出てから、東方向の道道98号を進んで湯内まで行く。

湯内からは、旭川まで山間の道道98号を進み、嵐山で道道915号に左折して、江丹別から道道72号を通って鷹栖町に入り、道道99号に出て更に北上する。

北都橋を越えてすぐに、道道から分岐する東鷹栖14線に入り、22号とぶつかったら右折すれば、目の前に「鬼斗牛山(或いは三角山:標高379.3m)」が見える。


国道275号沿いに行く場合は、浦臼までは国道275号と12号に挟まれた地帯の道路の何れを通っても行けるので、それで取り敢えず奈井江と浦臼を結ぶ道道278号を目指す。278号に出たら浦臼市外を目指して一旦国道275号に出る。

国道を275号を北に少し進み、鶴沼を過ぎた辺りで葡萄畑の広がる天狗鼻の麓に通じる道に左折する。その少し先に於札内へ抜ける農道があるので、そこを右折。

そこからは札沼線と並行して走る農道を北上し、中徳富で広い農道に向かって左折する。その農道を上っていくと、右手にグリーンパークへ向かう農道が現れるのでそこを右折。

後は多少のドン突きや曲がりはあるものの、道なりに進めば大和の辺りで国道275号と合流する分岐に出る。

そこで国道を横断して滝川市に入り、函館本線の東側を走る農道を左折し、滝川広域農道に出た後、多少曲がりながらも道なりに進めば、今度は国道12号に出る。

国道12号を旭川方向に向かって左折し、少し行くと道道94号との分岐があるので、そこから後は「国道12号沿いに行く場合」と同じ。

「鬼斗牛山」から「岐登牛山」に向かう経路については、また後で触れることにしよう。





ということで、まずは「鬼斗牛山」が見える場所に辿り着く訳だが、ここで山名の「キトウシ」について考えてみた。

語感からしておそらくアイヌ語だろう、という見当はついていたのだが、旭川市のホームページに拠れば「ギョウジャニンニク(俗に言うアイヌネギ)がたくさん採れる場所」という意味らしい。

まあ、北海道ではアイヌネギなど、雪解けの時期にはそこらの山の沢筋に行けば珍しくもなんともないのだが、この山は「たくさん採れる場所」と名付けずにはいられない程ドッサリ採れるということなのだろう。




で、話を戻して東鷹栖の22号に到着してからの「鬼斗牛山」の件である。

まずは「鬼斗牛山」と、その後に向かう「岐登牛山」地図。

   


で、これが「鬼斗牛山」の航空写真。

   

↑この写真は少し拡大し過ぎたので、画像左下の-(マイナス)ボタンを数回クリックすれば、適度な縮尺で見られる筈だ。



前述したとおり、東鷹栖の22号線道路まで来ると、道路のほぼ進路上にこの「鬼斗牛山」が見えるのだが、雰囲気が何とも言えず良いのだ。

なだらかな傾斜地の田園地帯で、その中を通る道路も適度な起伏があり、目で見た感じではそれ程似ているとはと思えないのだが、何故か美瑛の畑を思い起こさせるような不思議な感覚が湧き出てくる場所でもある。

当時、付近を撮った写真が一枚だけパソコンに残っていたので、それを載せておこう。

「鬼斗牛山」を過ぎた辺りから鷹栖町方面を望んだ写真である。


「鬼斗牛山」は、確かこの画面の右斜め後ろ方向に位置していたと思う。


この「鬼斗牛山」、実は登山道があって頂上まで登れるらしいのだが、当時はそれがわからず、せいぜい「北側の麓を通る林道も使って山麓を一周」した程度の探索しか行っていない。次に訪れる時には是非とも山頂を目指してみたいものだ。





さて、「鬼斗牛山」に着いた後なのだが、次は何処に行こうかと暫く迷ってから、「そうだ、大雪山の見える方向に行ってみるべ」と思い立ち、道道520号に出て比布町に入り、そこから道道1122号を通って当麻町に入ることにした。そのまま直進すると道路は「黒岩山」の東側を迂回する山間の道道486号に変わる。更に進めば、旭山動物園方面に続く道道295号に変わるのだが、豊田の十字路を左折して「キトウシ森林公園家族旅行村」のある方向を目指す。

その道を少し上って右手にゴルフ場がある峠に着けば、そのすぐ左手のスキー場のある山が、なんと直前に訪れた「鬼斗牛山」と全く同じ読み方である「岐登牛山(キトウシ山 標高456.6m)」だったのだ。

西側斜面が頂上付近まで続くスキー場となっている為、登頂意欲をそそられない山ではあるが、東川町側の麓から伸びる道路が「展望閣」まで続いており、そこの駐車場に車を停めて、遊歩道沿いに山頂まで行けるらしい。


これがその「岐登牛山」の航空写真。
   

↑こちらの写真も拡大し過ぎなので、画像左下の-(マイナス)ボタンを数回クリックして適度な縮尺で見て欲しい。



この「岐登牛山」なのだが、特に意識して目指した訳でもないのに、何故か「鬼斗牛山」を訪れたすぐ後にここに連れて来られた?ことに不思議な縁を感じる。

実は、当麻町から山間の道に入った後は、適当に「気分の良さそうな道」を勘で選んで進んで来ただけなので、1回目に訪れた時はドライブ経路は、ろくに憶えていなかった。

にも拘わらず、その後数回訪れた際も「鬼斗牛山」を訪れた後は、途中の経路は毎回違うものの、何故かこの「岐登牛山」に引き寄せられる様に来てしまうから不思議なことだ。





ところでこの「岐登牛山」の語源なのだが、こちらも「鬼斗牛山」同様、「ギョウジャニンニク(俗に言うアイヌネギ)がたくさん採れる場所」という意味らしい。

なんとも安直なネーミングのような気もするが、直線距離で十数kmしか離れていない地域に、2箇所も「ギョウジャニンニクがたくさん採れる山」があるというのは、一体どういうことだろう?

遥か昔、それぞれの集落の人たちが「俺たちのトコの方がたくさん採れるぞ!」と張り合った結果なのだろうか…。



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2016年12月3日土曜日

謎の神殿?UFOを呼ぶハヨピラ


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日高管内の平取町に、「UFOを呼ぶ為に造られた施設がある」と知ったのはいつ頃だっただろうか。

「ハヨピラ自然公園」という場所だそうで、なんでも、マヤの神殿みたいな急な階段状の構造物が山の斜面一帯に建設され、嘗てこの地に降臨したというアイヌの神様「オキクルミ」の像や、UFOとか飛行機のオブジェなども設置されているということだった。



この施設のそもそもの成り立ちは、一部の好事家によって創設された「宇宙友好協会(略称C.B.A)」なる団体を母体として実施した事業の一環の様で、この団体についてはWikipediaに書かれている内容が、なかなか興味深い。尚、Wikipediaに拠れば、そこの施設の建設については、東京五輪の年の1964年に計画され、1967年に完成の暁を見たらしいのだが、その後「宇宙友好協会」は消滅してしまったらしい。

当初は「UFOとコンタクトする為の施設」として建設されたのだが、「宇宙友好協会」消滅後に平取町に移管されて「ハヨピラ自然公園」という名称に変わり、その後施設の老朽化などで、閉園となってしまう。現在は、遺構はそのまま残ってはいるものの、「公園跡地」という扱いになっている様だ。

で、その「ハヨピラ」という名前の語源なのだが、アイヌ語から来ているようだ。

後から現地を訪れた際に、平取町による語源の説明の看板を見ているのだが、詳しい内容は忘れてしまった。確か「武装した(ハヨ)」、「崖(ビラ)」から来ているという、よくわからない理由が書いてあった様な記憶がある。

その他にも、そもそもこの平取町には、平泉で死んだ筈の源義経が落ち延びてきたという伝説があり、「義経神社」なる神社(地図参照)も存在するのだが、その義経が置いて行った「武器」という意味のアイヌ語「ハヨ」と、それが置かれた場所を表す「崖」という意味の「ピラ」が合体した地名だという説もあるらしい。

以上、不確かな記憶で申し訳ないが、これについては検索すれば妥当な答えが見つかると思うので、ここでは敢えて詳しく触れないことにする。




話は逸れるが、Wikipediaを読む限り、この「宇宙友好協会」なる団体の創設から消滅までの経緯が結構面白かったので、ネットでいろいろと調べてみた。


その中でも特に興味深かったのが、「UFOの里ブログ」と、「ふるやの森」というブログに掲載されていた記事である。尚、どちらのブログもブログ名で検索すればトップに出てくるので、敢えてリンクは貼っていない。


で、まずは「UFOの里ブログ」なのだが、この中に「日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話」という文献から引用したとされる、「CBA(宇宙友好協会)事件の松村氏と初接触」と、「CBA(宇宙友好協会)元幹部来館」という、二つの記事が掲載されており、その記事の中で「宇宙友好協会」の主宰者の人となりに断片的ではあるが触れられていて、かなり貴重な情報だと思われる。


また、「ふるやの森」の方は「銀河連邦日本(略称G.F.L.J)」という組織によって提供されているブログなのだが、こちらには当時「宇宙友好協会」の幹部だったA氏という方がFacebookで公開された、団体設立からハヨピラ記念公園建設までの経緯について書いた話を転載した、「GFLJ5/22,2015:コンタクト活動の先駆け:CBA(宇宙友好協会)の活動について」という記事が載っていて、これがまた濃い内容で面白いのだ。(※この「G.F.L.J」という団体については、ここで触れるとまたまた脱線してしまうのでこれ以上触れないが、信じるか信じないかは別にしても、こちらもまあ面白い。詳しくは「G.F.L.J」のブログやそのリンク先のHPを読んで欲しい)

中でも、記事中のリンク先「【転載】CBAとは?」に転載された、前述の「宇宙友好協会」の当時の幹部A氏による文章は、団体の消滅に関して自戒的に触れられており興味深い。


記事の中身については、両ブログともこれ以上ここでは触れないが、当事者及び、当事者と接触のあった人間による文献として、当時を知る上でかなり貴重な資料だろうと思われる。

「UFOの里ブログ」の管理人様、「ふるやの森」の管理人様、ありがとうございました。





さて、話を戻して「ハヨピラ自然公園」の件である。

記憶が定かではないのだが、おそらく2000年の夏頃だったと思う。それまで話には聞いていた、平取町にある「ハヨピラ自然公園」に行ってみようと思い立ち、当時乗っていたセロー225に跨り日高方面に向けて出発した。


まずは地図だ。

   

地図上には「義経神社」の場所も見える。


もう一丁、「ハヨピラ遺構」の航空写真。
   

画像左下の-(マイナス)ボタンをクリックすれば、全体像が拝める。




経路としては、まず国道234号を南下して早来町から道道10号に進み、その後分岐を道道59号へ向かう。

すると国道237号にぶつかるので、そのT字路を左折して平取町方面へと進む。

平取町の市街地に入り、役場の前を過ぎた辺りで国道が緩やかに右にカーブしていて、そのカーブの起点にある信号から左手に直進して行く道に左折する。この道が「日高国道」と呼ばれている道らしい。

その「日高国道」をそのまま直進し、右側にカーブして沙流川を渡る橋の手前にある分岐を左折すれば、現在は「ハヨピラ自然公園跡地」となっている場所の登り口に着く。尚、ハヨピラの頂上の遺構は、道路のかなり手前から視認できる。


当時も入口のゲートは閉まっていて、「閉園」になっている旨の但し書きの看板があったのだが、ゲート脇から歩いて入れるし、特に「立入禁止」の表示も無かったので、ゲート手前にある空きスペースにバイクを停めて、そのまま歩いて登っていくことにした。

道の終点は広場になっていて、そこから石段が斜面頂上にある天辺が平たい三角形のオブジェに向かって続いている。

これが頂上付近に向けて撮った写真。

頂上を望む
石段途中にある円盤状のものは、どうやら「花時計」の跡らしい。


急な石段を上っていくと、UFOのオブジェの辺りの石段に金網のフェンスが設置してある。どうもそれ以上進むな、との意思表示らしいのだが、金網の両脇が空き放題なので、難なく通過できてしまった。

そのまま、写真集などで見るマヤやアステカの神殿もかくやと思わせる程に急な階段を上っていくと、道路から見えた「上が平たい三角形の構造物」の根っこに到達した。

その「上が平たい三角形の構造物」も、入口から中の階段を通って、「三角形の構造物の頂上」まで上がれるらしいのだが、鉄製の階段が当時でもサビサビの状態だったので、上ってみることは断念した、

尚、この「三角形の構造物の根っこ」地点からでも眺めは十分良くて、沙流川とその流域の景色が一望できたのだが、その時撮った写真は何処かに紛れ込んでしまったようで、探しても見つからない…。

という訳で頂上付近まで極めたので満足し、そのまま帰路に就いたのだが、下りの石段が急で、恐ろしいことこの上無い。ヘッピリ腰で石段を下り終えて下の広場に着いた時には、思わずホッとしたものだ。





以上が十数年前に行った「ハヨピラ自然公園跡」の探訪記録である。

確かに現地もそれなりに面白かったのだが、上にも書いた様に、それ以上に「ハヨピラ遺構」の成り立ちがとにかく興味深い。

普通、思い付きだけでは、素人工事で山の斜面を切り開き、UFOを呼ぶ為の祭壇を造ってしまう人間など中々いないと思われるのだが、実際にそれをやってのけたことにまず驚く。

ネットで見る限り、やっていることは新興宗教みたいに感じられなくもないのだが、しかし石器人はこういう人達が嫌いではなく、寧ろ羨望さえ覚える。何処に向かうかは別にして、少なくとも自分の様な凡人には無い強烈なエネルギーを持っている訳だし、何よりこういう人達が存在するから、この息苦しい世の中も少しは面白くなるのではないかと思っているからなのだが…。



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2016年11月13日日曜日

当別町伊達山から羆の糞転がる林道伊達山線へ


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今はネットで地形図が見られるようになったので、もう地形図を買うことはなくなったのだが、昔から道内の地形図を買ってきて、ニヤニヤしながら眺めるのが好きだった。

で、ある時、当別町近辺の地形図を見ていたら、北海道医療大学の裏手のゴルフ場から、ほぼ尾根伝いに道があることに気が付いた。実線表示だから「歩道」ではなく「車道」だろう。恐らく非舗装の「林道」だと思うが。

その地形図上の林道を辿って行くと、尾根伝いに青山方面に通じているようだ。

ずっと気になっていたその林道だが、割と遠くない所にあるのでいつでも行けるだろうと思っていた所為か、なかなか行く機会を掴めないまま今に至っていた。

地形図を見る限りではほとんど尾根上にある道なので、葉っぱが落ちた秋ならさぞや見晴らしが良いだろうと思い、重い腰を上げて10月末の日曜に走行16万km超えのボロ車で走ってみることにした。


地図はこれだ。

   





まずは、北海道医療大学の裏手を走る道を「ハッピーバレーGC」に向かって上がって行くと

裏手の道から医療大学を望む



ゴルフ場入口に到着。ここが地図ポイント1の起点だ。

地図ポイント1 ゴルフ場入口
このまま直進する。



左手にあるゴルフ場の端っこの地点から、いよいよダートに入る。地図ポイント2.。

地図ポイント2 ダートを直進



右側に「伊達山(標高101m)」があるらしいが、見通しが悪くてよくわからない。

右手に「伊達山」



尾根筋の道を行くのだが

尾根上を行く


本当に見通しがよくない…。

なんも見えんわ…


やがて地図ポイント3の十字路が出てくる。右手を下ると「金沢」方面へ、左手に行くと「茂平沢」方面に出るようだ。

地図ポイント3の十字路


そのまま進むと人工林の間伐現場が…。

日曜だから作業は休みらしい


枝打ちもやっとりますな。

枝打ち現場


更に進むと阿蘇岩山のレーダーが見える。

阿蘇岩山


天気はまあまあ。

曇り時々晴れ


見通しのよい場所も増えてきた。写真は青山方面。

青山側


おや、道の先に何か見えるが…。

何だべ?


ああ、これね。ここが地図ポイント4.の電波塔

地図ポイント4 結構高い


ここまで来れば見晴らしもよい。

空知方面を望む



そのまま尾根筋を進んで行くと二股に出る。右側に進めば「中小屋」方面に出るようだが、今回は左側に進むことにする。地図ポイント5の二股地点

地図ポイント5の二股


すると左手に、木々の間から当別ダムが見えてくる。

見難いが当別ダムが見える



そのまま尾根筋を進んで行くと

何山だべ?
雪を被った山が見えてくる。



方角から考えると「円錐峰(標高690.2m)」だろうか?

多分「円錐峰」?


更に下りになった道を進む。

下って行く


すると何やら分岐がみえる。ここが地図ポイント6

地図ポイント6の分岐


分岐の右手は、橋を渡って当別ダム湖沿いに、赤間の沢から青山に抜ける道路へと続いているようだ。

「ごとうのさわがわはし」
右手の橋は「ごとうのさわがわはし」という騒がしい名前らしい。漢字表記の方がわかりやすいと思うのだが…。


「ごとうのさわがわはし」方面は次回の宿題としておくか。

今回は行かない


で、「ごとうのさわがわはし」を渡らずに、分岐を左に進んで行くと、また橋が…。

また橋だ


「だてやまりんどうはし」というらしい。分岐ではないので、このまま橋を渡ろう。ここが地図ポイント7となる。

地図ポイント7の「だてやまりんどうはし」



おや?橋の上になんかあるぞ。

橋の中ほどに何やら黒い物が…


こ、これは…

コレはアレだ!



羆のウンコでないかい!?

おおっ…
ホレ、もう一丁!

勘弁して欲しいべさ…

しかしアレだな。二箇所ともキッチリ排水口で脱糞しているから、中々エチケットを弁えたクマなのかもしれない。



橋の上からの見晴らしはいい。クマもこの景色を眺めながら優雅にウンコをタレたのだろうか?

絶景を眺めながらウンコ?


それにしても北海道の場合、過去には山菜採り等で羆絡みの死亡事故がかなりの件数起きているし、去年などは紋別市で体重400kgという、グリズリー並みの巨大羆が仕留められたらしい。まあ、車に乗ってりゃ大丈夫だとは思うが。



気を取り直して前に進もう。

羆が気になる…
見通しはよくないが、どうやら当別ダム湖沿いを走っているようだ。この林道がどうやら「伊達山線」というらしい。



お!ゲートだ。開いててよかった。

ゲート



お?里に出たのかな?

道路が見えるぞ


ああ、成程。道道28号「当別浜益港線」に出るのか。

右手に行けば当別ダムだが、今回は左側の当別方面に向かい、帰路に就くことにしよう。地図ポイント8

地図ポイント8 道道28号線に出る


もうすっかり秋だべさ。

当別川沿いの風景


さ~、帰ろ帰ろ。



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2016年10月20日木曜日

墓場への誘い セロー225 (Hakaba eno izanai Serow225)


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昔、セロー225というヤマハのバイクに乗っていた。

新車で買った1993年式で、2003年にエンジンが掛からなくなり手放してしまったが、乾燥重量が確か108kg程度と非常に軽く、まるで自転車のような感覚で乗れるバイクだった。

乗っていた頃は随分写真も撮ったのだが、保存していたCD-Rが駄目になってしまったので、今はセロー本体の写真は1枚も無い。

残っているのは、取扱説明書だけである。
買ったのは225Wのひとつ前の型(リヤドラムブレーキ仕様)なのに、何故か前後輪ディスクブレーキ仕様の225Wの説明書が付いてきた。


セロー225Wの取説


さて、このバイクだが、ライト系については割と大胆な改造を施した。

千葉の市川にある、YSP市川西(今はバイクショップ クリーンという名前になっている)という店が販売していた、CIBIEのMOTO180というバイク用のライトと、それをポン付けする為のアルミフレーム一式のセットを購入し、自分で取り付けた。

ライトが55/60WのH4仕様になった225Wのひとつ前の型だったので、元のライトは非常に暗かったからだ。確か30/30W程度じゃなかったかと記憶している。

で、CIBIEのライトを組んだセローだが、夜間の走りやすさは格段に向上した。美しいレンズカットのライトから出る光はたいへん明るく、一灯しか無いのに、車より走りやすかった程である。

後は、フロントタイヤを標準の2.75-21から、他の250オフ車と同じ、3.00-21に変更して、純正のハンドガードを付けた位である。
尚、このハンドガード、大きくて見た目も良くないが、防風効果は抜群で、雪が積もる直前の11月に走っても、手袋さえしていれば指が悴むことも無かった、





ところで、タイトルの件である。

セローでツーリングに出かけると、必要な時以外は幹線道路は走らない。
北海道であれば、大抵は幹線国道・道道に沿って、交通量が少ない割に立派な農道や市町村道があるからだ。

石器人なので、きちんと行き先を定めて走るわけではない。で、そういう農道や市町村道を進みながら、分岐ごとに止まっては、行きたい方を勘で決めて進んで行くのである。

このやり方で、気持ちが良さそうだと思える場所に向かって進んで行くと、どういうわけか山の方に引き寄せられる。
徐々に道が細くなって、最後には行き止まり、若しくは、これ以上進んだらまずいことになりそうだな、という状況に陥る。

別に山奥や寂しい場所に行きたい、と思って走っているわけではないのだが、
何故かそうなる。

そういう薄ら寂しい道でも、走って行く内には休むのに丁度良さそうな場所は必ず見付かるものだ。

で、そういう場所にバイクを止めて休憩し、辺りを見回してみると、見つけてしまうのである。

墓場を…。


大抵は5、6基から10数基程度のミニ墓地で、道路からは藪や林で隔てられている場所が多いから、パッと見はわかりにくい。
気付かなければ、それはそれで幸せだったのだが、風景の写真など撮ろうとするものだから、どうしても見つけてしまう。

こんな現象がツーリングの度に発生するので、ある時期から「もう墓場には行きたくねえ!」と身構えるようになり、意識的に寂しそうな方角を避けるようにしたこともあった。

すると今度はどういう訳か、走っている経路の途中に中規模~比較的大規模の墓地が、頻繁に現れるようになったのである。

それで震え上がった訳でもないが、「これは、何をやっても墓場には連れて行かれる運命なんだべな」と諦め、抵抗せずに墓場への流れに身を任せることにしたわけだ。



で、抵抗を止めてみた結果、墓場に引き寄せられることは無くなったのか?といえば、そんなことは無い。
相変わらず、行き止まりにぶち当たって「この先30m 〇△墓地」という看板と刈り分け道を見付けては「オワーッ!」と仰け反っていた。

でもまあ、慣れというものは恐ろしいもので、そういうことを続けているうちに段々と気にならなくなるものらしい。


セローに乗っていた時期の最後の方になると、陽も当たらないような草深い山道の奥でミニ墓地を見つけても、別に驚くこともなく、ただブバッと乾いた屁が出るだけになったという、何の為にもならないお話である。





※余談

セローでツーリングする際には、手放せない物が一つあった。
それがこれである。


秀岳荘オリジナルザック

北海道の登山用品店「秀岳荘」で以前販売されていた、オリジナルの登山用ザックで、ナイロン袋に背負い紐を縫い付けたシンプルな物である。

石器人はこれを「頭陀袋」と呼んでいたが、バイクにゴムネットで積むには本当に適した形状をしていて使いやすい。要はただの袋みたいな物だから、荷物の量に応じて、形が変幻自在に変えられる。

また、散々走った挙句墓場に行き当たり、くたびれてバイクの上で寝る時も、この上ない枕代わりとなってくれた。



もうひとつ余談だが、セローの上で寝る時は、シートに背中を預けタンクに尻を乗せ、足はハンドルの上で組み、頭はリヤフェンダーの上の「頭陀袋」に乗せれば、ピタッとハマる。

その際、目覚まし時計などは持って行かないので、シートから転げ落ちる時が目を覚ます時だ。



(※この記事は当初、2015年10月17日に「石器人の足掻き」に掲載された後、2016年6月10日に「イテテテ団」へ移転し、更に今回当ブログへ引っ越してきたものです。)


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アレ?ここは確か墓場だった筈だが・・・


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2016年10月11日火曜日

無意根山近くにある大沼


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今から十数年前、多分2000年前後?の夏のことだったと思うのだが、札幌近郊にある無意根山(標高1,464m)に登ったことがある。

この無意根山、実は自宅からも見える。これがその写真だ。

無意根山
中央の山頂から右手方向になだらかに傾斜している稜線は、「千尺高地」に繫がっている(50倍ズームでやっとこの程度だ)。



登った時は、頂上付近に結構な残雪があったと記憶しているので、恐らく6月頃のことだったと思われるが、日記を付けていた訳ではないので、今一つ記憶が定かではない。

その時のことを、乏しい記憶を頼りに記録として残してみることにした。


《画像①》 これが登山コースの地図。

    


二通りある登山コースの内、豊羽元山側からのコースを選択し、よく晴れた日の早朝に自宅を出発した。定山渓経由で豊羽元山まで車で来て、当時あった「無意根山荘」前のスペースに駐車し、登山届を書いてから、無意根山頂を目指して出発。

豊羽元山側からのコースを選んだのは、途中で見える「ある場所」が目当てだったからなのだが、これがまた長いコースだった。

最初から急な林の中の登山道を黙々と登る。高度を稼いでいくと、後ろに定山渓天狗岳が見えるので、それに励まされながらまたひたすら登る。

標高1100mを越えた辺りで樹林帯を抜けて台地状の笹原になる。ここが所謂「千尺高地」と呼ばれる広い尾根の下端になるようだ。

傾斜が緩くなった笹の中の登山道をまた黙々と進んで行くと、やがて見通しの良い「休憩広場」と呼ばれる場所に出るので一休み。この場所からは、目指す無意根山の頂上が望める。距離的には、まだかなり先にあるように見えるが…。

一休みしてから再び笹原の中の道を辿って上を目指す。笹は根曲がり竹で丈が結構高く、見通しはよくない。

「休憩広場」から暫く進むと、登山道から右手に歩道が分岐して下っている(※注1:《画像③》の歩道分岐点の写真参照)のを発見する。これはもしかしたら、今回目当ての「ある場所」へ続く道なのだろうか?とは思ったが、今回は「ある場所」については、あくまでも「見る」ことだけが目的だったので、分岐を下りずにそのまま頂上を目指して歩く。

笹藪で周りがよく見えないけどひたすら進んで行くと、やがて広い台地状だった尾根が細くなって林の中に入る。多分この辺りから右手の下の方に「ある場所」が見える筈なのだが、木の枝や葉っぱが邪魔で見通しが非常に悪い。

右側の方を気にしながらそのまま登って行くと、漸く木々の間から「ある場所」が見えるところに出た。そう、「ある場所」というのは、長尾山と無意根山を結ぶ稜線の中間地点の西側下にある「大沼」のことなのだ。

木が邪魔で沼の全容は見えないが、それでもかなり大きな沼だということはわかる。登山ガイドブックには「長径500m」と書いてあるが、結構な大きさだ。そして水の色がまた「山と空の色」を映して、何とも言えず綺麗なのだ。

カメラは持って行かなかった為写真は撮れなかったので、代わりにGoogleの航空写真を載せておく。


《画像②》 「大沼」の航空写真。

    

画像左下にある倍率ボタン「+」をクリックして、オレンジマークの「大沼」拡大して見て欲しい。結構きれいな水であると思われる。また、左側には「小沼」も見えている。




さて、「大沼」についてはまた後で触れるとして、先に登山の話を済ましてしまおう。


細くなった稜線をしばらく進んで、左手の笹っ原の斜面にある道になる。その道を歩いて行くと、やがて薄別からの登山道との分岐に出る。左手下には無意根尻小屋も見えていたと思う。

やがてハイマツが生い茂る道となり、低いダケカンバの間を進んで行くと山頂に到着した。流石に道央でも屈指の標高の山なので、全方向見通しは良い。

風は強かったが、晴れていたので眺望は素晴らしく、空沼岳、札幌岳方面は無論のこと、羊蹄山の姿も拝むことができたのだった。







ということで、話を「ある場所(大沼)」の件に戻そう。

実はかなり以前から、札幌周辺の山の地形図を買って眺めていたので、無意根山と長尾山を結ぶ稜線の西側に、「大沼」という名の結構な大きさの沼があることは知ってはいた。

しかし、当時出版されていた登山ガイド本などを見ても、沼の存在については記載されているものの、「大沼」自体へのアプローチに関する記述は一切載っていなかった。

そこで、自分なりに「大沼」まで行く机上のルートを考えてみたのだが、地形図で見る限りでは、無雪期に「大沼」まで行くには、A案-元山コースの稜線沿いの登山道から藪漕ぎで最短距離を下る」か、若しくはB案-京極町方面からペーペナイ川沿いにある林道を遡行して、「大沼」の西側にある「小沼」まで行き、そこから「大沼」に向けて藪漕ぎする」方法の二通りしか無さそうなのだ。

どちらのコースも根曲り竹の藪漕ぎ(これはかなりきつい)必須となりそうなのだが、A案の稜線沿いの登山道から下るにしても、標高1000m強の場所にある「大沼」まで行くには、標高差200m以上の藪漕ぎが待っていると思われる。下りはともかく、戻って来るのに難儀しそうだ…。

但し、上の※注1に書いたように、稜線上の登山道から「大沼方面に向かっているかもしれない?刈り分け道の分岐」らしきものを、この時の登山で発見したので、A案のアプローチについては、もしかしたら事情が変わって来るかもしれない。


《画像③》 ※注1「大沼」方面への刈り分け道かもしれない分岐の航空写真。

    

左上から右下に走る登山道から「大沼」方向に分岐(オレンジのマークの斜め左下あたり)している「刈り分け道」がある筈なのだが、このGoogleの航空写真では判然としない。


Yahooの航空写真ではくっきりと「刈り分け道」が写っているのだが、このブログに上手く貼り付けられない。仕方ないので、Yahoo航空写真「豊羽元山~無意根山登山道から西側に向かう歩道分岐点の地図」にリンクを貼っておく。


Yahooの航空写真の方を見れば、今回前述※注1で見つけた発見した刈り分け道が、確かに西側方面に向かって下っているように見える。しかし、まっすぐに「大沼」まで向かっているのではなく、沼の北側にある「植林地」らしい辺りに向かって西側に伸びているようだ。更に写真の西側方向を確認すると、白くなってしまい写真が撮られていないようなので、その先は確認出来ない。

そのYahooの航空写真では「大沼」の南端近くに、西側から伸びて来ている歩道らしきものが確認できるので、上に書いた歩道とどこかで繋がっている気はするのだが、さっきも言ったように、肝心の西側の部分の写真が未だ撮影されていないようなので、結局はわからなかった。

機会があれば、この刈り分け道を下ってみたいのだが、絶好の水場である「大沼」のある一帯は「ヒグマの巣」のような気がするので、躊躇するものがある。




で、もう一方のB案、ペーペナイ川の林道遡行コースだが、こちらも「小沼」から先は、「ヒグマの巣」と思われる地帯の中を藪漕ぎして登ることになりそうだ。どちらかと言えば、このコースの方がヒグマに遭遇する機会は多そうに思える(A案のコースの場合は傾斜が急過ぎてヒグマも歩き難いだろう)ので、こちら側から行くのも中々難しい気がする…。




そういう訳で、「大沼」まで行くことは並大抵のことではないだろうと思っていたので、せめてその姿を遠くからでも生で見ようと思い、無意根山に登ってみた、という訳である。





あれ以来、現在まで無意根山には登っていない。

今でも偶に「大沼」に行く方法を考えるのだが、不思議なことにネットで幾ら検索しても、大沼まで歩いて到達した」という記述は発見できない。元山側から登れば必ず目にする沼なので、誰かが探検していてもおかしくないのだが…。

で、もし石器人が行くとしたら、夏場にヒグマに怯えながら藪漕ぎするより、春先の堅雪状態の時に山スキーを使った方が楽かもしれない、と今のところは考えている。




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2016年9月26日月曜日

小平町登突山近くの誰も行かない?沼


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石器人が若い頃、ある機会があって、小平町の山の中に出かけたことがある。仕事の一環だったので、現地在住の人と一緒に山に入ったのだが、その時に面白い場所を見せて貰ったことを最近思い出した。

小平町の鬼鹿というところから、東方向の山に向かって行き、砂利道の曲がりくねった林道を車で進んで行くと、辺り一帯は自治体(北海道)が所有する山になる。その山奥の現場で仕事を終わらせた後に、現地の同行者から「山の上に沼があるんだけど、見て行くかい?」と言われたのだ。

まだ日も十分高かったこともあり、「それじゃ行ってみよう」ということになり、仕事の現場から、その「山の上の沼」に行ってみることにしたのだった。

山奥の林道だったのでどこをどう通ったのかは忘れたが、大部分は尾根筋に開いた砂利道を通ったと記憶している。

で、登突山という低い山の頂上の脇を通って北方向に進み、三叉路を左に曲がって、更に尾根筋に狭い砂利道下っていくと、広めの台地状の場所に出た。道はそこまでで終わりだったのだが、まさにその尾根筋の台地に、雑木林に囲まれた「山の上の沼」があったのだ。


直径は50m程だったと記憶していて、さほど大きくはなく、名前も付いていない沼である。しかし、雑木林に囲まれてはいたが、日当たりはかなり良くて、小高い台地状の場所なこともあり、休憩するのには最適な場所だった。勿論、山林作業をする人間以外は来るような場所ではないので、我々以外の人の気配は皆無である。

沼の水源は雨水からの「溜まり水」のようで、それ程澄んでいる感じはしなかったと記憶しているが、それが却ってリアルな「秘境感」を演出しているようだった。ただ、現地の人によると水位の増減があまり無いようなので、もしかしたら雨水の他にも、沼底のどこかから湧き水が湧いているのかもしれない。



現場で見た感じでは結構「丸い」形をした沼だと思っていたのだが、地形図閲覧サービスで確認してみたら、「縁の欠けたお椀」みたいな形をしているから、記憶は当てにならないものだ。

ついでに標高も地形図で確認してみたら、230m前後で、もっと高い場所(少なくとも500m以上)にあったと思っていた記憶が、またもや誤りだった。尤も、登突山自体の標高が352.9mだから、そんなことは有り得なかったわけだが…。


これがGoogleの地図である。青色のマークが「登突山」でオレンジ色のマークが「山の上にある沼」である。
    


↑最初に表示される地図は拡大し過ぎで何が何だかわからないので、地図左下にある「-(マイナス)」の倍率縮小ボタンを1回クリックすると見やすくなるようだ。



次に、「山の上の沼」のGoogle航空写真も貼っておく。同じく青色のマークが「登突山」でオレンジ色のマークが「山の上にある沼」である。
    

↑こちらも、最初に表示される航空写真は拡大し過ぎで「沼」の位置を示すオレンジ色のマークが隠れて表示されてしまうので、写真左下にある「-(マイナス)」の倍率縮小ボタンを1回クリックして縮小してやると見やすくなる。

後は、「山の上の沼」のオレンジ色のマークを地図の中心に持ってきて、航空写真左下にある倍率拡大ボタン「+(プラス)」をクリックして、出来る限り拡大して見て欲しい。沼の形の概要が掴めると思う。



それにしても、誰に見られる訳でもなく山の中にひっそりと存在するこの沼は、本当に雰囲気の良い所で、まさに「憩いの場所」という表現がピッタリの場所だった。恐らく、もう二度とここを訪れることは無いと思うが、いつまでもあの日見たままの姿で在って欲しいものだ。





尚、この場所に行く道路についてだが、道有林の入り口に「無断入林禁止の為の簡易ゲート」が有ったと記憶しているので、一般の車は恐らく入って行けない筈だ(道有林内の林道も、かなり険しく幅も狭いし、どこが崩落しているかわからないから、車で入る難易度も高い)。

こんな場所に行ってみようと考える物好きな人はまずいないとは思うが、もし万が一行こうとする場合は、道有林の中にある場所なので、きちんと「入林届」を書いて入山するように。

また、その際は「火の始末」だけは気を付けて欲しい。煙草のポイ捨てなどは論外で、山火事を起こせば賠償金を請求される可能性もあるので。





※参考までに、地形図閲覧サービスで「山の上の沼」の地形図を見るための、沼の緯度と経度も載せておく。

北緯44度7分31.73秒 東経141度44分4.86秒

地形図に直リンクを貼ってはダメらしいので、「地形図閲覧サービス」のホームページへのリンク(これは問題ないらしい)も貼っておく。


「国土地理院ホームページ」


このホームページの下にある「地図・空中写真・地理調査」のメニューから、「地図・空中写真閲覧サービス」をクリックし、左側のメニューの「緯度経度移動」を選んで、緯度と経度を入力すればよい。




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2016年9月21日水曜日

手稲山南西斜面ガレ場にある生贄の石台?


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山歩きが趣味だった石器人が、今より少し若い頃に頻繁に登った山があった。

それがこの札幌近郊の手稲山である。

手稲山
晴れていれば石器人が住んでいる地域からも見えるので、50倍ズームのデジカメで撮った写真を貼ってみた。



山の標高は1023.7mで、登山コースは「手稲オリンピア」側からのコースなど、数種類あり、どのコースを使っても、誰でも手軽に日帰り登山が可能な山である。

その複数ある登山コースで、石器人が好んで登ったのは「平和の滝コース」と呼ばれる登山道だった。というか、「手稲オリンピア」側からは、小学生時代の遠足以来登っていない。

何故このコースばっかり登っていたか、という理由は後で触れることにして、先に登山コースの簡単な説明をしよう。





車で発寒川の上流にある札幌市西区平和の「平和の滝」まで行くと、結構広い駐車場があるので、そこに車を停める。ここは心霊スポットとしても結構有名らしく、ネットで検索するとそれに類する様々なオカルト的話題が出て来るのだが、石器人は鈍いせいか、今まで数多くここに訪れているのに、未だに霊的なものは見たことがない。


ここの駐車場から登山を開始することになるわけだが、まずはGoogleの地形図を載せておこう。

    

青とオレンジのマークを突っつくとポイント名と説明が表示され、地図を突っつくと説明は消える。尚、地図中の目印の位置などはかなり適当なので、目安程度に見て欲しい。


さて、地図ポイント「平和の滝」にある駐車場の目と鼻の先に「大平和寺」という寺がある。その建物の右手にある林道入口に、車止めのゲートが設置してあるので、そのゲートの横を通って林道を歩き始める。最初は沢沿いの平坦な林道を、左手に地図ポイント「砂防ダム」を左手に見ながら、更に奥に進んで行く。

ここから先は徐々に登山道らしくなり、多少の上り下りを経ながら、上流から2つの沢が合流する地図ポイント「沢沿いの道」地点まで進む。

ここから、沢と沢の間の支尾根の斜面を登り、また下って右側にある沢まで一旦下りてから、沢沿いにある登山道を辿って進む。

少し進むと左手に見える沢に、地図ポイント「布敷ノ滝」が現れ、そこから更に遡上すると、地図ポイント「右手の斜面を登り始める」地点に着くので、そこで沢を離れて斜面に取り付くことになる。

確かこの先に湧き水が出る「水飲み場」があったような気がするが、石器人は利用したことが無かったので記憶が定かではない。


で、鬱蒼とした林の中の、石がゴロゴロと露出している登山道を淡々と登り続けると、針葉樹の樹林帯に入り、そこを抜けると、ガレ場の右端を通る登山道の左手にある、オレンジ色のマーク地図ポイント「ガレ場」地点に到着する。この場所が今回の話の肝なのだが、その話は後にして、取り敢えずは山頂を目指す登山コースの説明を続けよう。

ガレ場にはペンキで目印が付いているので、それを辿りながら登る。やがてガレ場を抜けると今度は、急な斜面を登る九十九折りの道が始まるので、それをヒーヒー言いながら進むと、樺の木(多分ダケカンバだと思う)の林がある台地状の尾根に到達する。

そこから林の間の登山道を登っていくと、頂上手前の丘に石を積み上げたケルンがある場所に出る。

ここから少し歩いた先が山頂になるのだが、頂上付近はテレビ放送用の大きなアンテナが乱立していて興醒めするので、石器人はいつもここまで来た時点で引き返していた。



これが、平和の滝~手稲山登山コースの概要なのだが、先に少し触れた、この話の肝心な部分である地図ポイント「ガレ場」に話を戻そう。





さて、地図ポイント「布敷ノ滝」の先の石が露出した登山道を登り、いい加減くたびれて来た頃に、針葉樹の林の先にある地図上のオレンジ色マークのポイントの場所である、大きな石がゴロゴロ堆積している「ガレ場」に到着する。

石器人が「平和の滝コース」を登り始めた当初は、休まずにここを通過していたので、これから説明する「或るものの存在には気付かなかったのだが、何回か登っている内に、このガレ場が丁度いい休憩場所になる為、そこでしばらく休むようになった。

で、ガレ場で休みながら周囲を見渡していると、山頂に向かって左側の、登山コースから少し離れた場所に、奇妙な巨石があることに気付いた。

この不規則に転がっている石の中で、畳2畳分くらいはあろうかと思われる平たい石が、どう見てもほぼ水平な状態でガレ場の石の上に乗っかっているのだ。

で、近くに行きよく観察してみると、表面が削ったように平らで、おまけに人が寝そべっていられる程広いから、休むのに丁度良い。



それ以降、手稲山に登る度にこのガレ場の平たい巨大な石の上で休んでいたのだが、そのうち「何か妙だな」と疑問を感じるようになった。

周囲の他の石を見ても、平たい石は結構あるのだが、この石くらい大きくて水平に置かれている石は他には無い。見た感じは、どう見ても「人為的」に設置されているように見えるのだが、石自体の重さは間違いなくトン単位になると思われるので、重機でも使わない限り動かすことは不可能だ。しかし、道は人が歩くことがやっとの登山道で、途中のアップダウンもあり、重機がここまで来ることもまた絶対に不可能なのだ。



この石の奇妙な点はもう一つある。

石の中心にきれいな丸い穴があるのだ。ここしばらくは行っていないので記憶が定かではないのだが、直径10cmくらい、深さも10cmほど(だったと思う)の穴が、殆ど「人為的だろ?コレ」という感じで穿ってあるのだ。

きちんとした長方形ではないので、石の中心点がどこかは正確にはわからないのだが、それでも見た感じはドンピシャ「石の中心」に穴が開いている様に見える。もちろん何の為にこの穴が開いているのかは、さっぱりわからない。



見れば見る程不思議な石で、何度か登っている内に、ひょっとしたら遥か昔、北海道にも元々居住していた「縄文人」のストーンサークルの残骸か何かなのでは?などと妄想を膨らませるようになり、見た目のインパクトから、「生贄の石台(せきだい)」と勝手に名付けたのだった。

縄文人がわざわざこんな山奥までやってきて「生贄の儀式」を行ったなどとは現実的には考えられないし、そんな言い伝えも根拠も聞いたことは無いのだが、この石が遥か昔に「何らかの儀式」に使われていた、という気がしてならないのだ。



そんな不気味な名前で呼んでいたこのガレ場の巨石なのだが、上にも書いたとおり、休憩するにはまさに絶好の場所だった。ここで昼寝をしてしまうことも度々あり、終いにはこの石の上で休むこと自体も、登山の目的の一つになった。日当たりが良くて見晴らしも良く、ここに座っているだけで何とも言えない爽快な気分になるからだ。

山頂まで行かずに「生贄の石台」まで来て、石の上で弁当を食って、1時間ほど昼寝してから下山したことも何回かあった程のお気に入りの場所だったのだが、ここ数年は歳を取った所為か、山に登る気力が無くなり訪れていない。



ところで、この石はデジカメで何回も撮影したのだが、画像を保存していたCD-Rが安物だった為か読み取り不能となり、現在一枚も写真が残っていない。

仕方ないので、「生贄の石台」の位置をGoogle Mapの航空写真機能を使って表すマイマップを作成し、それを代わりに貼り付けておくことにする。


これがその「生贄の石台」があるガレ場の航空写真。
    

この写真のオレンジ色のマークの下側に見えるのが、恐らく「生贄の石台」ではないかと思われるので、画面左下の倍率ボタンを調節して極限まで拡大してみて欲しい。四角い大きな岩が見えてくる筈だ。





と、ここまで書いてきたら、「生贄の石台」の上で昼寝することが、どれ程楽しくて快適だったのかという記憶が、石器人の固まりつつある頭の中にも鮮明に蘇って来た。

近い内に、この石の写真を撮る為にもまた登ってみようと思う。



(続く)  (前回)



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2016年9月9日金曜日

芦別市野花南のピラミッド?「丸山」


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今から12年前に遡る2004年のこと、まだ雪が残る春先、恐らく3月頃だったと記憶しているが、石器人が車で国道38号を芦別市経由で富良野方面に向かっている途中、野花南(のかなん)を過ぎた辺りで右手に奇妙な形の山があることに気付いた。


あまりにも変わった形の山だったので気になり、車を停めて撮った写真がこれである。

変わった形の野花南の「丸山」


地図で調べてみたら、正式な名称は「丸山」といって、野花南ダムのすぐ側にあるらしい。

これがその地図。

    

その時は写真を撮っただけで、そのまま通過してしまったのだが、何故か気になって仕方がない。

で、その年の4月(12年前で記憶が定かではないのだが、下の写真の残雪の具合などから、もしかしたら5月だったかも)のある日、再び行ってみることにした。



前回と同じく、国道38号を芦別市を通過して野花南まで走り、JR野花南駅付近のお寺のある辺りで、右手の農道に入ると、あとは何回か曲がりながら野花南ダム方面に進む。目標であるピラミッド型の「丸山」はずっと見えているので、山を目指して走れば難なく野花南ダム手前の丸山の麓に到着した。下に貼った「野花南ダム堰堤から丸山を見た写真」の、左側稜線の根っこのあたりである。

ここで一旦車から降り、麓の農道から丸山の写真を撮ろうとした時、突然奇妙な眩暈に襲われたことを憶えている。立ち眩みとはまた違った感じで、特に気持ち悪さは感じないのだが、とにかく不思議な感覚だった。

その奇妙な感覚は十数秒程で治まり、その後写真の撮影を続けたのだが、これは別にオカルトめいた現象などではなく、ただ昼飯を食っていなかった(現地に着いたのは昼をだいぶ過ぎた頃だったと記憶している)ので、多分空きっ腹による眩暈だったのだろう、と思うことにしている。尚、その時撮影した写真は、今探しているのだが、野花南ダム到着以降の写真は残っているのに、何故かその写真だけがどこにも見つからない…。



話を戻して、そこから少し先に進むと、野花南川を堰き止めた野花南ダムに到着する。

これがその、野花南ダム堰堤から見た丸山。

野花南ダム堰堤から見える斜面はかなりの急勾配だ


この角度から見ると、国道から見えたような「ピラミッド型」には見えず、左側の稜線の形も崩れている。

そこで、さっき通って来た山の左側の地肌をよく観察してみると、この山、どうやら脆い岩石で出来ているらしく、この左側の稜線の途中で角度が変わっている部分も、下側(山麓部分)の岩が崩落してこのような形になったように見える。

本来なら同じ傾斜角のまま地面とつながっていた稜線が、野花南川の流れで削られて、現在のようないびつな形になったのではないだろうか。



で、いつまでも下から眺めてばかりいても仕方ないので、早速「丸山」を探検するために、登ってみることにした。

事前に国土地理院の地形図でも確認したのだが、頂上に至る歩道の記号は無かったので、どうやら藪漕ぎするしかなさそうだ(と、この時は思っていた)。


まず手始めに、堰堤の先から直登しようと試みたのだが、かなりの急斜面で落石が頻繁にあるらしく、結構な大きさの石が麓に堆積している。案の定、少し登るだけでも地肌が脆い岩となっている足元が崩れ、盛大に落石を引き起こしてしまう。

こりゃ直登は無理だな、とまっすぐ登るのは諦め、左にトラバースして藪が密集している稜線の近くまで行き、灌木を掴みながら藪漕ぎで登ることにした。

そういえばこの時、山頂を目指して藪を漕いでいたら、どこからともなく一匹のカラスがやってきて、頂上付近まで鳴きながら付き纏われ、先程の眩暈の件もあったので、「何か起こるんじゃないべか?」と不安になったことを今思い出した。結局、くたびれて腹が減っただけで、特に不吉なことは起こらなかったのだが。


また話を戻すが、この時は山靴は持って行かず足元はスニーカーだったので、かなり悪戦苦闘しながらも、標高差200m以上はあると思われる急斜面を何とか登り切り、無事に頂上に到達したのだった。


これがその「丸山」頂上の写真だ。

頂上から野花南ダムと野花南川上流を望む



もう一枚、ホレ。

写真右手より登って来た



頂上付近には、写真のとおり大きな岩が露出している。ダム方向の見晴らしはよいが、反対側は木が生えており、見晴らしはよくない。写ってないけど写真の左手が芦別岳のある方向となる。


ところで、頂上に着いてからわかったのだが、この写真の左斜め後ろに、何と立派な歩道があったのだ。おそらく野花南ダムから見て丸山を挟んだ反対方向側から、ちゃんとした登山道が整備されているらしい。それがわかってりゃ、最初からこの歩道を使ったのに…。





ということで、次に訪れる時は「必ずこのまともな登山道を使って登ってやるぞ!」と心に決めた石器人だったが、車に戻る為に止むを得ず「最短コースである先程やっとの思いで登ってきた藪の中」に再び突入し、転がり落ちて行くのだった。



※追記

事前に国土地理院の地形図を確認した、と書いたが、興味のある方は国土地理院の地形図閲覧サービスで、「丸山」の地形図を覗いてみて欲しい。エジプトのピラミッドのような「四角錐」とはまた別の、かなりきれいな「三角錐」の形をした丸山が確認出来る筈だから。

尚、ダムの名前なのだが、Google Mapでは「野花南ダム」となっているが、国土地理院の地形図では「丸山ダム」となっている。どっちが正しいんだろう?


(続く)



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