2018年12月10日月曜日

静川遺跡は胆振東部地震の震源地のほとんど真上?


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今年の9月6日未明に発生して道内に大停電を引き起こした、最大震度7の「胆振東部地震」震源地のすぐ近く(というか殆ど真上?)に、以前訪れたことのある静川遺跡があるんだべさ。

この静川遺跡、かなり大きな台地状の遺跡で、今回の地震で被害を受けたんでないべか?と思い、どんな様子か覗いて見るために、現地に行ってみることにしたんだべさ。





この遺跡について再度簡単に説明しておくと、場所は苫小牧東部の開発地域内の静川に位置していて、現地に立っていた看板に拠れば「約4000年前の縄文中期の遺跡」らしく、遺跡自体は「東地区」「西地区」と呼ばれる二つの大きな台地で構成されており、「西地区」台地の北端に車を停められる場所があるんだべさ。

その「西地区」には33箇所のたて穴式住居跡があり、「東地区」の方には、台地上の北側にある2箇所の建造物跡を囲む様に、現在は埋め戻されてしまった「環濠」が設置されていたみたいだべさ。この「環濠」というのがかなり大掛かりなもので、深さ1~1.8m、幅2~3mの溝が、北端の住居跡を周囲138.5mに渡って囲っていたらしいべさ。




静川遺跡へのアプローチだべさ

まずは、地図の代わりにGoogle航空写真で、「静川遺跡」の位置を貼り付けとくべ。

 

↑画面左下の+-ボタンで、拡大・縮小可能。



ということで9月も末のよく晴れたある日、ボロ車に乗って「静川遺跡」のある苫小牧市に向かって自宅を出発したんだべさ。国道234号を南下して


ウトナイ湖の手前で道道129号に左折。


道なりに進むと、やがて国道235号にぶつかるので、鵡川方面に向かって左折するべさ。並走する日高自動車道の苫東中央ICを越えてしばらく進むと


左手に「静川遺跡」の看板が見つかるので、そこを左折。

Ⓒ「静川遺跡」の看板があるので左折
ここから2km先にあるらしいべさ




Ⓓ「静川遺跡」への道のりは砂利道になるんだけど、「往路」と「復路」が別の様で、行く時はこの二股の左手に進むみたいだべさ。

Ⓓ行きは左手に進む


一方通行なんだとさ。「復路」が書いてないけど、この先どっかで案内表示があるんだべか?

一方通行らしいべさ



こんな感じの道を進んで行くだよ。

砂利道を進む



少し進むとと右手に看板発見。アレ?前回来た時にこんな看板あったべか?記憶に残ってないんだけど…。で、この看板が曲者だったんだべさ。

Ⓔ右手に看板があるんだけど



前回来た時は真っすぐ進んだ様に記憶しているんだけど、上の小さい標識の表示だと、パッと見はどう見ても「右折して200m行けば静川遺跡があるという風に読み取れるべさ…。

Ⓔ地点の看板 どう見ても「右に行け」だべさ



仕方ないから、上側の小看板の「右折」の指示通りに右折して進んでみたら、「復路」と思われる道に出てしまったんだべさ。「復路」だと逆戻りして遺跡に行くことは出来ないので、仕方なく看板のある地点まで引き返し、看板に書いてあることをよ~く確認したら、右折せずに真っすぐ進めばよかったんだべさ…。やっぱり前回の記憶が正しかったんだわ。

真っすぐ行けばよかったんだべさ…
↑看板のある「現在位置」から右折して点線(ペイントで書き加えた)を進むと、「復路」に出てしまうので、「往路」の黒い線に従って右折せずに真っすぐ進むのが正解なんだべさ。あ~、もう紛らわしい!上側の小さい「右折」看板は無い方がいいべや。何のために設置してるんだべ??

…と思ったんだけど、冷静になって下の大きな看板をよく読んだら、ちゃんと赤字で「国指定史跡「静川遺跡」を見学される方は、そのままお進みください」って書いてあったべさ…。よく読まなかった石器人の早とちりだんべ。




気を取り直して、改めて看板のあるⒺ地点から真っすぐ進んで行くと、また右手に標識が…。

Ⓕまた標識が



地点の標識の拡大写真。指示通りに行ってはみるけど、今度は正しい案内なんだべな?今イチ不安が拭えないんだけど…。

Ⓕの標識 今ひとつ確信を持てない…




こんな感じの狭い道を進んで行くんだけど、この道は何となく見覚えがあるべさ。

道は狭くなる



迷うか?と思ったけど、何事も無く「西地区」北端にある駐車場に到着したべさ。まあ、以前に一度来てるんだし…。


駐車場にも「静川遺跡」の全景看板があるんだべさ。

Ⓖ駐車場の「静川遺跡」全景看板
↑この画像だと、胴体が痩せて足が太いライオンかバッファローに見えなくもない様な気も…。




もう一つの看板。「落とし穴(水色表示)」とかもあって、なかなか楽しそうな遺跡ですな。

Ⓖ遺跡の説明看板
拡大図
説明書き





「静川遺跡」を探訪するべ

さて、先にGoogle航空写真を使って、「静川遺跡」の全体図を載せとくべ。

 

↑画面左下の+-ボタンで、拡大・縮小可能。





それでは、まず「西地区」の台地に上がってみることにするべ。

「西地区」台地に上る



②「西地区」台地上から南東方面を望む。やっぱりでっかい遺跡だべさ…。

南東方向





③「西地区」台地上から東方面を望む。

東方向



④「西地区」台地上から南西方面を望む。

南西方面



それでは「東地区」の方に行ってみるかい。これが「東地区」へと続く、渡り廊下みたいな尾根状の台地だべさ。

この尾根を通って「東地区」へ行くだ



先の方に、何やら看板が立ってるべさ。「環濠」部分の説明看板だべか?後で行ってみるべ。

尾根上から正面(北東方向)を望む
尾根上から右手を望む
尾根上から左手を望む




まずは「東地区」台地の南端まで行ってみるべ。

台地の南端まで行くべ




⑧「東地区」台地南端から南方向を望む。おや?下の方の草っぱらに、何か黒い筋が見えるべさ。最初は歩道かと思ったけど、どうやら違うみたいだべさ。今回の地震による地割れだべか?

台地南端から南方向
歩道かと思ったけどそうでもない様な…
地震による地割れだべか?
↑やっぱり亀裂に見えるべさ。下りて確認しとけばよかった…。





さて、これは「東地区」台地の北東端から北東方向を撮った写真。

台地北東端から北東方向



さて、次はさっきチラッと見えた「環濠」の看板?が立ってる場所に行ってみるべ。

さっき見えてた看板の場所まで行くべ




やっぱり「環濠」の看板だったべさ。

「環濠」の看板
「環濠」部分の拡大
ということらしいべさ
↑縄文時代の「環濠」は全国的にも珍しいみたいで、その全体が確認されたのは「静川遺跡」だけらしいべさ。思ってたより貴重な遺跡だったみたいだべさ。




これが「環濠」があった場所だべさ。発掘作業後は埋め戻されたみたいだべさ。

「環濠」が掘られていた場所



看板の「環濠」の図が「人の顔」みたいに見えたので、ペイントで写真に「環濠」を書き込んだら、スクリームみたいになったべや。

鼻と口は嘘だべさ



⑭「環濠」部の先端、つまり「東地区」台地の北西端部分。肩の部分が若干崩れてるけど、地震の影響だべか?

崩落?
地割れもあるべさ




蝦夷鹿の足跡。あちこちにあるべさ。

鹿の足跡



さて、それでは戻るとするかい。

「西地区」台地方向を望む



駐車場の看板に記載があった「落とし穴」を、キョロキョロ探しながら「西地区」台地の北西端まで戻って来たんだけど、「落とし穴」はどうやら埋め戻されたらしく、どこにも見つからなかったべさ。そういえば、前回来た時も「落とし穴」を探し回った様な気が…。

「西地区」台地北西端より駐車場付近を望む


とまあこんな感じで、「静川遺跡」の探訪は終了したんだべさ。



駐車場からの帰路は、途中にこんな一時停止の標識がある箇所を左折すれば、一方通行の「復路」となり、国道235号からの入口まで戻ることが出来るべさ。

一時停止を左折すれば「復路」となる



YouTubeに動画をアップしたべさ

YouTubeの方にも、リコーのWG-M2で撮影した動画をアップしといたので、貼り付けとくべ。

 







ということで、「静川遺跡」を一通り歩いてみたんだけど、「胆振東部地震」の震源地に極めて近い(というよりはほぼ真上?)場所なのに、何箇所か地割れ?は確認できたものの、想像していたほど地震による被害はなかった、というお話だべさ。



(続く)  (前回)



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