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今から10年程前の夏頃だっただろうか、ドライブがてら苫小牧市の植苗辺りを車で走っている内に道道129号に入り込み、工業団地の端っこを走っていたら国道235号に突き当たった。その時は、このまま日高方面にでも足を延ばしてみるかと思っていたので、まずは鵡川町に向かう為、国道を左折することにした。
で、静川橋を渡って少し走った辺りだったと思うが、左手に「静川遺跡」の看板を見つけたのだ。
それまで、「静川遺跡」という遺跡のことはj全く知らなかったのだが、知らない場所なら一度は拝んでおきたいという性質なので、その看板のある道に左折して入ってみることにした。
ここで現地の地図を載せておく。
林内の砂利道を進んで行き、右から流れ込む安平川の支流沿いの道に右折する。そこから、草深くて狭い砂利道を更に少し進むと、道の終わりが「静川遺跡」の駐車場になっていた。
現地に設置してある看板に拠れば、遺跡自体は「東地区」と「西地区」と呼ばれる二つの大きな台地の上にあり、駐車場は「西地区」台地の北端に位置している。
看板に書いてある説明では、この遺跡は約4000年前の縄文中期の遺跡らしく、「西地区」には33箇所のたて穴式住居跡があり、「東地区」の方には、台地上の北側にある2箇所の建造物跡を囲む様に「環濠」が設置されていたようなのだが、現在はその「環濠」は埋め戻されているようだ。
この「環濠」というのが結構大掛かりなもので、深さ1~1.8m、幅2~3mの溝が、北端の住居跡を周囲138.5mに渡って囲っていたらしい。
で、更に看板をよく見ると、「住居跡」、「墳墓」、「環濠」などを示す記号に混じって、「落とし穴」という水色の記号もあったのだ。看板の図ではこの水色の落とし穴記号が、「西地区」、「東地区」を問わず至る所に点在している…。しかし、これが本当に「落とし穴」だとしたら、まさか遊び半分で作った訳でもないだろうから、外敵か羆に対しての備えとして作ったのだろうか?
看板をじっくり拝んでから「西地区」の台地に登ってみたのだが、まずその大きさに圧倒される。隣に連なる「東地区」の台地もそうなのだが、思っていた以上に広い。
参考までに、「静川遺跡」のGoogleの航空写真を載せておくが、その大きさを感じられるだろうか。
写真左手が「西地区」の台地で、右側が「東地区」となる。上側(北側)中央のオレンジのマークは、「環濠」跡が発見された台地である。
「西地区」の台地の南端から「東地区」台地へ渡り、「環濠」があったとされる「東地区」台地の北端まで歩いてみたのだが、どうやら気になっていた「落とし穴」も、「環濠」同様埋め戻されてしまったようで、穴を拝むことは出来なかった。
その後、「東地区」の南側など、一通り台地を歩き回ったのだが、この時はカメラを持っていくのを忘れた為、現地の写真を撮ることが出来なかったのが残念だった。
で、両方の台地の上を行ったり来たりしてフラフラしている内に結構な時間が経ったので、日高方面に行くのは諦めて、そのまま帰路に就くことにしたのである。
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ところで、ネットで検索してみた結果、この「静川遺跡」について、一番充実した内容が記されていると思われる「ブナ林と古代史」というサイトを見つけた。
「静川遺跡」に関するページに行くには、トップページにある「古代史への入口」というリンクを踏むと出てくるページの中のリンク「静川遺跡」をクリックする。そこで出てきたページの左側メニューから、「A地区(東地区)」や「B地区(西地区)」の遺跡について写真入りの詳細な説明ページに飛ぶことができ、そこに記載されている内容が非常に興味深い。(※尚、上記サイトについては検索すればトップで出てくるので、敢えてリンクは貼っていない)
そのサイトの説明の中に、「A地区(東地区)」にある「環濠」で囲まれた2箇所の建造物跡は、日常的な空間とは異にした「聖域」だったのではないか、という記述があるのだが、それを読んだ時に何故か得心させられるものがあった。
「東地区」の「環濠」で囲まれていたとされる台地の上を歩いていた時、現地の看板の「この環濠が作られた目的などについては現在解っておりません~」という説明書きに影響された所為か、ここは何か特別な遺構だったのではないか?という感じがして、その時に何故か「古墳」という言葉が連想されたからである。
但し、もし「古墳」なら縄文時代とは時代も異なる(古墳時代は3世紀以降)し、石狩管内で発見された所謂「末期古墳」と呼ばれるものとも形状は違っている様だし、そもそも「古代遺跡」と言えば「古墳」くらいしか思い浮かばない、単純な頭の石器人の根も葉もない妄想なんだけど…。
勿論、公式には発掘調査の末に「縄文中期の住居跡と環濠の遺跡」という説が確立されている訳で、古墳ではありえないのだが、それにしても、もしかしてここは縄文時代の遺跡とは別の「何か」だったのでは?と妄想するだけでも、何故かワクワクして来るではないか。
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ということで、ここまで「素人の全く的外れな妄想」を書き散らしてみたのだけれど、「環濠」と「聖域」のある「東地区」の台地をもう少し深くほじくったら、また何かすごい物が出てきたりして…。
(続く) (前回)
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