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山歩きが趣味だった石器人が、今より少し若い頃に頻繁に登った山があった。
それがこの札幌近郊の手稲山である。
手稲山 |
山の標高は1023.7mで、登山コースは「手稲オリンピア」側からのコースなど、数種類あり、どのコースを使っても、誰でも手軽に日帰り登山が可能な山である。
その複数ある登山コースで、石器人が好んで登ったのは「平和の滝コース」と呼ばれる登山道だった。というか、「手稲オリンピア」側からは、小学生時代の遠足以来登っていない。
何故このコースばっかり登っていたか、という理由は後で触れることにして、先に登山コースの簡単な説明をしよう。
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車で発寒川の上流にある札幌市西区平和の「平和の滝」まで行くと、結構広い駐車場があるので、そこに車を停める。ここは心霊スポットとしても結構有名らしく、ネットで検索するとそれに類する様々なオカルト的話題が出て来るのだが、石器人は鈍いせいか、今まで数多くここに訪れているのに、未だに霊的なものは見たことがない。
ここの駐車場から登山を開始することになるわけだが、まずはGoogleの地形図を載せておこう。
青とオレンジのマークを突っつくとポイント名と説明が表示され、地図を突っつくと説明は消える。尚、地図中の目印の位置などはかなり適当なので、目安程度に見て欲しい。
さて、地図ポイント「平和の滝」にある駐車場の目と鼻の先に「大平和寺」という寺がある。その建物の右手にある林道入口に、車止めのゲートが設置してあるので、そのゲートの横を通って林道を歩き始める。最初は沢沿いの平坦な林道を、左手に地図ポイント「砂防ダム」を左手に見ながら、更に奥に進んで行く。
ここから先は徐々に登山道らしくなり、多少の上り下りを経ながら、上流から2つの沢が合流する地図ポイント「沢沿いの道」地点まで進む。
ここから、沢と沢の間の支尾根の斜面を登り、また下って右側にある沢まで一旦下りてから、沢沿いにある登山道を辿って進む。
少し進むと左手に見える沢に、地図ポイント「布敷ノ滝」が現れ、そこから更に遡上すると、地図ポイント「右手の斜面を登り始める」地点に着くので、そこで沢を離れて斜面に取り付くことになる。
確かこの先に湧き水が出る「水飲み場」があったような気がするが、石器人は利用したことが無かったので記憶が定かではない。
で、鬱蒼とした林の中の、石がゴロゴロと露出している登山道を淡々と登り続けると、針葉樹の樹林帯に入り、そこを抜けると、ガレ場の右端を通る登山道の左手にある、オレンジ色のマークの地図ポイント「ガレ場」地点に到着する。この場所が今回の話の肝なのだが、その話は後にして、取り敢えずは山頂を目指す登山コースの説明を続けよう。
ガレ場にはペンキで目印が付いているので、それを辿りながら登る。やがてガレ場を抜けると今度は、急な斜面を登る九十九折りの道が始まるので、それをヒーヒー言いながら進むと、樺の木(多分ダケカンバだと思う)の林がある台地状の尾根に到達する。
そこから林の間の登山道を登っていくと、頂上手前の丘に石を積み上げたケルンがある場所に出る。
ここから少し歩いた先が山頂になるのだが、頂上付近はテレビ放送用の大きなアンテナが乱立していて興醒めするので、石器人はいつもここまで来た時点で引き返していた。
これが、平和の滝~手稲山登山コースの概要なのだが、先に少し触れた、この話の肝心な部分である地図ポイント「ガレ場」に話を戻そう。
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さて、地図ポイント「布敷ノ滝」の先の石が露出した登山道を登り、いい加減くたびれて来た頃に、針葉樹の林の先にある地図上のオレンジ色マークのポイントの場所である、大きな石がゴロゴロ堆積している「ガレ場」に到着する。
石器人が「平和の滝コース」を登り始めた当初は、休まずにここを通過していたので、これから説明する「或るもの」の存在には気付かなかったのだが、何回か登っている内に、このガレ場が丁度いい休憩場所になる為、そこでしばらく休むようになった。
で、ガレ場で休みながら周囲を見渡していると、山頂に向かって左側の、登山コースから少し離れた場所に、奇妙な巨石があることに気付いた。
この不規則に転がっている石の中で、畳2畳分くらいはあろうかと思われる平たい石が、どう見てもほぼ水平な状態でガレ場の石の上に乗っかっているのだ。
で、近くに行きよく観察してみると、表面が削ったように平らで、おまけに人が寝そべっていられる程広いから、休むのに丁度良い。
それ以降、手稲山に登る度にこのガレ場の平たい巨大な石の上で休んでいたのだが、そのうち「何か妙だな」と疑問を感じるようになった。
周囲の他の石を見ても、平たい石は結構あるのだが、この石くらい大きくて水平に置かれている石は他には無い。見た感じは、どう見ても「人為的」に設置されているように見えるのだが、石自体の重さは間違いなくトン単位になると思われるので、重機でも使わない限り動かすことは不可能だ。しかし、道は人が歩くことがやっとの登山道で、途中のアップダウンもあり、重機がここまで来ることもまた絶対に不可能なのだ。
この石の奇妙な点はもう一つある。
石の中心にきれいな丸い穴があるのだ。ここしばらくは行っていないので記憶が定かではないのだが、直径10cmくらい、深さも10cmほど(だったと思う)の穴が、殆ど「人為的だろ?コレ」という感じで穿ってあるのだ。
きちんとした長方形ではないので、石の中心点がどこかは正確にはわからないのだが、それでも見た感じはドンピシャ「石の中心」に穴が開いている様に見える。もちろん何の為にこの穴が開いているのかは、さっぱりわからない。
見れば見る程不思議な石で、何度か登っている内に、ひょっとしたら遥か昔、北海道にも元々居住していた「縄文人」のストーンサークルの残骸か何かなのでは?などと妄想を膨らませるようになり、見た目のインパクトから、「生贄の石台(せきだい)」と勝手に名付けたのだった。
縄文人がわざわざこんな山奥までやってきて「生贄の儀式」を行ったなどとは現実的には考えられないし、そんな言い伝えも根拠も聞いたことは無いのだが、この石が遥か昔に「何らかの儀式」に使われていた、という気がしてならないのだ。
そんな不気味な名前で呼んでいたこのガレ場の巨石なのだが、上にも書いたとおり、休憩するにはまさに絶好の場所だった。ここで昼寝をしてしまうことも度々あり、終いにはこの石の上で休むこと自体も、登山の目的の一つになった。日当たりが良くて見晴らしも良く、ここに座っているだけで何とも言えない爽快な気分になるからだ。
山頂まで行かずに「生贄の石台」まで来て、石の上で弁当を食って、1時間ほど昼寝してから下山したことも何回かあった程のお気に入りの場所だったのだが、ここ数年は歳を取った所為か、山に登る気力が無くなり訪れていない。
ところで、この石はデジカメで何回も撮影したのだが、画像を保存していたCD-Rが安物だった為か読み取り不能となり、現在一枚も写真が残っていない。
仕方ないので、「生贄の石台」の位置をGoogle Mapの航空写真機能を使って表すマイマップを作成し、それを代わりに貼り付けておくことにする。
これがその「生贄の石台」があるガレ場の航空写真。
この写真のオレンジ色のマークの下側に見えるのが、恐らく「生贄の石台」ではないかと思われるので、画面左下の倍率ボタンを調節して極限まで拡大してみて欲しい。四角い大きな岩が見えてくる筈だ。
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と、ここまで書いてきたら、「生贄の石台」の上で昼寝することが、どれ程楽しくて快適だったのかという記憶が、石器人の固まりつつある頭の中にも鮮明に蘇って来た。
近い内に、この石の写真を撮る為にもまた登ってみようと思う。
(続く) (前回)
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