2016年9月26日月曜日

小平町登突山近くの誰も行かない?沼


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石器人が若い頃、ある機会があって、小平町の山の中に出かけたことがある。仕事の一環だったので、現地在住の人と一緒に山に入ったのだが、その時に面白い場所を見せて貰ったことを最近思い出した。

小平町の鬼鹿というところから、東方向の山に向かって行き、砂利道の曲がりくねった林道を車で進んで行くと、辺り一帯は自治体(北海道)が所有する山になる。その山奥の現場で仕事を終わらせた後に、現地の同行者から「山の上に沼があるんだけど、見て行くかい?」と言われたのだ。

まだ日も十分高かったこともあり、「それじゃ行ってみよう」ということになり、仕事の現場から、その「山の上の沼」に行ってみることにしたのだった。

山奥の林道だったのでどこをどう通ったのかは忘れたが、大部分は尾根筋に開いた砂利道を通ったと記憶している。

で、登突山という低い山の頂上の脇を通って北方向に進み、三叉路を左に曲がって、更に尾根筋に狭い砂利道下っていくと、広めの台地状の場所に出た。道はそこまでで終わりだったのだが、まさにその尾根筋の台地に、雑木林に囲まれた「山の上の沼」があったのだ。


直径は50m程だったと記憶していて、さほど大きくはなく、名前も付いていない沼である。しかし、雑木林に囲まれてはいたが、日当たりはかなり良くて、小高い台地状の場所なこともあり、休憩するのには最適な場所だった。勿論、山林作業をする人間以外は来るような場所ではないので、我々以外の人の気配は皆無である。

沼の水源は雨水からの「溜まり水」のようで、それ程澄んでいる感じはしなかったと記憶しているが、それが却ってリアルな「秘境感」を演出しているようだった。ただ、現地の人によると水位の増減があまり無いようなので、もしかしたら雨水の他にも、沼底のどこかから湧き水が湧いているのかもしれない。



現場で見た感じでは結構「丸い」形をした沼だと思っていたのだが、地形図閲覧サービスで確認してみたら、「縁の欠けたお椀」みたいな形をしているから、記憶は当てにならないものだ。

ついでに標高も地形図で確認してみたら、230m前後で、もっと高い場所(少なくとも500m以上)にあったと思っていた記憶が、またもや誤りだった。尤も、登突山自体の標高が352.9mだから、そんなことは有り得なかったわけだが…。


これがGoogleの地図である。青色のマークが「登突山」でオレンジ色のマークが「山の上にある沼」である。
    


↑最初に表示される地図は拡大し過ぎで何が何だかわからないので、地図左下にある「-(マイナス)」の倍率縮小ボタンを1回クリックすると見やすくなるようだ。



次に、「山の上の沼」のGoogle航空写真も貼っておく。同じく青色のマークが「登突山」でオレンジ色のマークが「山の上にある沼」である。
    

↑こちらも、最初に表示される航空写真は拡大し過ぎで「沼」の位置を示すオレンジ色のマークが隠れて表示されてしまうので、写真左下にある「-(マイナス)」の倍率縮小ボタンを1回クリックして縮小してやると見やすくなる。

後は、「山の上の沼」のオレンジ色のマークを地図の中心に持ってきて、航空写真左下にある倍率拡大ボタン「+(プラス)」をクリックして、出来る限り拡大して見て欲しい。沼の形の概要が掴めると思う。



それにしても、誰に見られる訳でもなく山の中にひっそりと存在するこの沼は、本当に雰囲気の良い所で、まさに「憩いの場所」という表現がピッタリの場所だった。恐らく、もう二度とここを訪れることは無いと思うが、いつまでもあの日見たままの姿で在って欲しいものだ。





尚、この場所に行く道路についてだが、道有林の入り口に「無断入林禁止の為の簡易ゲート」が有ったと記憶しているので、一般の車は恐らく入って行けない筈だ(道有林内の林道も、かなり険しく幅も狭いし、どこが崩落しているかわからないから、車で入る難易度も高い)。

こんな場所に行ってみようと考える物好きな人はまずいないとは思うが、もし万が一行こうとする場合は、道有林の中にある場所なので、きちんと「入林届」を書いて入山するように。

また、その際は「火の始末」だけは気を付けて欲しい。煙草のポイ捨てなどは論外で、山火事を起こせば賠償金を請求される可能性もあるので。





※参考までに、地形図閲覧サービスで「山の上の沼」の地形図を見るための、沼の緯度と経度も載せておく。

北緯44度7分31.73秒 東経141度44分4.86秒

地形図に直リンクを貼ってはダメらしいので、「地形図閲覧サービス」のホームページへのリンク(これは問題ないらしい)も貼っておく。


「国土地理院ホームページ」


このホームページの下にある「地図・空中写真・地理調査」のメニューから、「地図・空中写真閲覧サービス」をクリックし、左側のメニューの「緯度経度移動」を選んで、緯度と経度を入力すればよい。




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2016年9月21日水曜日

手稲山南西斜面ガレ場にある生贄の石台?


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山歩きが趣味だった石器人が、今より少し若い頃に頻繁に登った山があった。

それがこの札幌近郊の手稲山である。

手稲山
晴れていれば石器人が住んでいる地域からも見えるので、50倍ズームのデジカメで撮った写真を貼ってみた。



山の標高は1023.7mで、登山コースは「手稲オリンピア」側からのコースなど、数種類あり、どのコースを使っても、誰でも手軽に日帰り登山が可能な山である。

その複数ある登山コースで、石器人が好んで登ったのは「平和の滝コース」と呼ばれる登山道だった。というか、「手稲オリンピア」側からは、小学生時代の遠足以来登っていない。

何故このコースばっかり登っていたか、という理由は後で触れることにして、先に登山コースの簡単な説明をしよう。





車で発寒川の上流にある札幌市西区平和の「平和の滝」まで行くと、結構広い駐車場があるので、そこに車を停める。ここは心霊スポットとしても結構有名らしく、ネットで検索するとそれに類する様々なオカルト的話題が出て来るのだが、石器人は鈍いせいか、今まで数多くここに訪れているのに、未だに霊的なものは見たことがない。


ここの駐車場から登山を開始することになるわけだが、まずはGoogleの地形図を載せておこう。

    

青とオレンジのマークを突っつくとポイント名と説明が表示され、地図を突っつくと説明は消える。尚、地図中の目印の位置などはかなり適当なので、目安程度に見て欲しい。


さて、地図ポイント「平和の滝」にある駐車場の目と鼻の先に「大平和寺」という寺がある。その建物の右手にある林道入口に、車止めのゲートが設置してあるので、そのゲートの横を通って林道を歩き始める。最初は沢沿いの平坦な林道を、左手に地図ポイント「砂防ダム」を左手に見ながら、更に奥に進んで行く。

ここから先は徐々に登山道らしくなり、多少の上り下りを経ながら、上流から2つの沢が合流する地図ポイント「沢沿いの道」地点まで進む。

ここから、沢と沢の間の支尾根の斜面を登り、また下って右側にある沢まで一旦下りてから、沢沿いにある登山道を辿って進む。

少し進むと左手に見える沢に、地図ポイント「布敷ノ滝」が現れ、そこから更に遡上すると、地図ポイント「右手の斜面を登り始める」地点に着くので、そこで沢を離れて斜面に取り付くことになる。

確かこの先に湧き水が出る「水飲み場」があったような気がするが、石器人は利用したことが無かったので記憶が定かではない。


で、鬱蒼とした林の中の、石がゴロゴロと露出している登山道を淡々と登り続けると、針葉樹の樹林帯に入り、そこを抜けると、ガレ場の右端を通る登山道の左手にある、オレンジ色のマーク地図ポイント「ガレ場」地点に到着する。この場所が今回の話の肝なのだが、その話は後にして、取り敢えずは山頂を目指す登山コースの説明を続けよう。

ガレ場にはペンキで目印が付いているので、それを辿りながら登る。やがてガレ場を抜けると今度は、急な斜面を登る九十九折りの道が始まるので、それをヒーヒー言いながら進むと、樺の木(多分ダケカンバだと思う)の林がある台地状の尾根に到達する。

そこから林の間の登山道を登っていくと、頂上手前の丘に石を積み上げたケルンがある場所に出る。

ここから少し歩いた先が山頂になるのだが、頂上付近はテレビ放送用の大きなアンテナが乱立していて興醒めするので、石器人はいつもここまで来た時点で引き返していた。



これが、平和の滝~手稲山登山コースの概要なのだが、先に少し触れた、この話の肝心な部分である地図ポイント「ガレ場」に話を戻そう。





さて、地図ポイント「布敷ノ滝」の先の石が露出した登山道を登り、いい加減くたびれて来た頃に、針葉樹の林の先にある地図上のオレンジ色マークのポイントの場所である、大きな石がゴロゴロ堆積している「ガレ場」に到着する。

石器人が「平和の滝コース」を登り始めた当初は、休まずにここを通過していたので、これから説明する「或るものの存在には気付かなかったのだが、何回か登っている内に、このガレ場が丁度いい休憩場所になる為、そこでしばらく休むようになった。

で、ガレ場で休みながら周囲を見渡していると、山頂に向かって左側の、登山コースから少し離れた場所に、奇妙な巨石があることに気付いた。

この不規則に転がっている石の中で、畳2畳分くらいはあろうかと思われる平たい石が、どう見てもほぼ水平な状態でガレ場の石の上に乗っかっているのだ。

で、近くに行きよく観察してみると、表面が削ったように平らで、おまけに人が寝そべっていられる程広いから、休むのに丁度良い。



それ以降、手稲山に登る度にこのガレ場の平たい巨大な石の上で休んでいたのだが、そのうち「何か妙だな」と疑問を感じるようになった。

周囲の他の石を見ても、平たい石は結構あるのだが、この石くらい大きくて水平に置かれている石は他には無い。見た感じは、どう見ても「人為的」に設置されているように見えるのだが、石自体の重さは間違いなくトン単位になると思われるので、重機でも使わない限り動かすことは不可能だ。しかし、道は人が歩くことがやっとの登山道で、途中のアップダウンもあり、重機がここまで来ることもまた絶対に不可能なのだ。



この石の奇妙な点はもう一つある。

石の中心にきれいな丸い穴があるのだ。ここしばらくは行っていないので記憶が定かではないのだが、直径10cmくらい、深さも10cmほど(だったと思う)の穴が、殆ど「人為的だろ?コレ」という感じで穿ってあるのだ。

きちんとした長方形ではないので、石の中心点がどこかは正確にはわからないのだが、それでも見た感じはドンピシャ「石の中心」に穴が開いている様に見える。もちろん何の為にこの穴が開いているのかは、さっぱりわからない。



見れば見る程不思議な石で、何度か登っている内に、ひょっとしたら遥か昔、北海道にも元々居住していた「縄文人」のストーンサークルの残骸か何かなのでは?などと妄想を膨らませるようになり、見た目のインパクトから、「生贄の石台(せきだい)」と勝手に名付けたのだった。

縄文人がわざわざこんな山奥までやってきて「生贄の儀式」を行ったなどとは現実的には考えられないし、そんな言い伝えも根拠も聞いたことは無いのだが、この石が遥か昔に「何らかの儀式」に使われていた、という気がしてならないのだ。



そんな不気味な名前で呼んでいたこのガレ場の巨石なのだが、上にも書いたとおり、休憩するにはまさに絶好の場所だった。ここで昼寝をしてしまうことも度々あり、終いにはこの石の上で休むこと自体も、登山の目的の一つになった。日当たりが良くて見晴らしも良く、ここに座っているだけで何とも言えない爽快な気分になるからだ。

山頂まで行かずに「生贄の石台」まで来て、石の上で弁当を食って、1時間ほど昼寝してから下山したことも何回かあった程のお気に入りの場所だったのだが、ここ数年は歳を取った所為か、山に登る気力が無くなり訪れていない。



ところで、この石はデジカメで何回も撮影したのだが、画像を保存していたCD-Rが安物だった為か読み取り不能となり、現在一枚も写真が残っていない。

仕方ないので、「生贄の石台」の位置をGoogle Mapの航空写真機能を使って表すマイマップを作成し、それを代わりに貼り付けておくことにする。


これがその「生贄の石台」があるガレ場の航空写真。
    

この写真のオレンジ色のマークの下側に見えるのが、恐らく「生贄の石台」ではないかと思われるので、画面左下の倍率ボタンを調節して極限まで拡大してみて欲しい。四角い大きな岩が見えてくる筈だ。





と、ここまで書いてきたら、「生贄の石台」の上で昼寝することが、どれ程楽しくて快適だったのかという記憶が、石器人の固まりつつある頭の中にも鮮明に蘇って来た。

近い内に、この石の写真を撮る為にもまた登ってみようと思う。



(続く)  (前回)



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2016年9月9日金曜日

芦別市野花南のピラミッド?「丸山」


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今から12年前に遡る2004年のこと、まだ雪が残る春先、恐らく3月頃だったと記憶しているが、石器人が車で国道38号を芦別市経由で富良野方面に向かっている途中、野花南(のかなん)を過ぎた辺りで右手に奇妙な形の山があることに気付いた。


あまりにも変わった形の山だったので気になり、車を停めて撮った写真がこれである。

変わった形の野花南の「丸山」


地図で調べてみたら、正式な名称は「丸山」といって、野花南ダムのすぐ側にあるらしい。

これがその地図。

    

その時は写真を撮っただけで、そのまま通過してしまったのだが、何故か気になって仕方がない。

で、その年の4月(12年前で記憶が定かではないのだが、下の写真の残雪の具合などから、もしかしたら5月だったかも)のある日、再び行ってみることにした。



前回と同じく、国道38号を芦別市を通過して野花南まで走り、JR野花南駅付近のお寺のある辺りで、右手の農道に入ると、あとは何回か曲がりながら野花南ダム方面に進む。目標であるピラミッド型の「丸山」はずっと見えているので、山を目指して走れば難なく野花南ダム手前の丸山の麓に到着した。下に貼った「野花南ダム堰堤から丸山を見た写真」の、左側稜線の根っこのあたりである。

ここで一旦車から降り、麓の農道から丸山の写真を撮ろうとした時、突然奇妙な眩暈に襲われたことを憶えている。立ち眩みとはまた違った感じで、特に気持ち悪さは感じないのだが、とにかく不思議な感覚だった。

その奇妙な感覚は十数秒程で治まり、その後写真の撮影を続けたのだが、これは別にオカルトめいた現象などではなく、ただ昼飯を食っていなかった(現地に着いたのは昼をだいぶ過ぎた頃だったと記憶している)ので、多分空きっ腹による眩暈だったのだろう、と思うことにしている。尚、その時撮影した写真は、今探しているのだが、野花南ダム到着以降の写真は残っているのに、何故かその写真だけがどこにも見つからない…。



話を戻して、そこから少し先に進むと、野花南川を堰き止めた野花南ダムに到着する。

これがその、野花南ダム堰堤から見た丸山。

野花南ダム堰堤から見える斜面はかなりの急勾配だ


この角度から見ると、国道から見えたような「ピラミッド型」には見えず、左側の稜線の形も崩れている。

そこで、さっき通って来た山の左側の地肌をよく観察してみると、この山、どうやら脆い岩石で出来ているらしく、この左側の稜線の途中で角度が変わっている部分も、下側(山麓部分)の岩が崩落してこのような形になったように見える。

本来なら同じ傾斜角のまま地面とつながっていた稜線が、野花南川の流れで削られて、現在のようないびつな形になったのではないだろうか。



で、いつまでも下から眺めてばかりいても仕方ないので、早速「丸山」を探検するために、登ってみることにした。

事前に国土地理院の地形図でも確認したのだが、頂上に至る歩道の記号は無かったので、どうやら藪漕ぎするしかなさそうだ(と、この時は思っていた)。


まず手始めに、堰堤の先から直登しようと試みたのだが、かなりの急斜面で落石が頻繁にあるらしく、結構な大きさの石が麓に堆積している。案の定、少し登るだけでも地肌が脆い岩となっている足元が崩れ、盛大に落石を引き起こしてしまう。

こりゃ直登は無理だな、とまっすぐ登るのは諦め、左にトラバースして藪が密集している稜線の近くまで行き、灌木を掴みながら藪漕ぎで登ることにした。

そういえばこの時、山頂を目指して藪を漕いでいたら、どこからともなく一匹のカラスがやってきて、頂上付近まで鳴きながら付き纏われ、先程の眩暈の件もあったので、「何か起こるんじゃないべか?」と不安になったことを今思い出した。結局、くたびれて腹が減っただけで、特に不吉なことは起こらなかったのだが。


また話を戻すが、この時は山靴は持って行かず足元はスニーカーだったので、かなり悪戦苦闘しながらも、標高差200m以上はあると思われる急斜面を何とか登り切り、無事に頂上に到達したのだった。


これがその「丸山」頂上の写真だ。

頂上から野花南ダムと野花南川上流を望む



もう一枚、ホレ。

写真右手より登って来た



頂上付近には、写真のとおり大きな岩が露出している。ダム方向の見晴らしはよいが、反対側は木が生えており、見晴らしはよくない。写ってないけど写真の左手が芦別岳のある方向となる。


ところで、頂上に着いてからわかったのだが、この写真の左斜め後ろに、何と立派な歩道があったのだ。おそらく野花南ダムから見て丸山を挟んだ反対方向側から、ちゃんとした登山道が整備されているらしい。それがわかってりゃ、最初からこの歩道を使ったのに…。





ということで、次に訪れる時は「必ずこのまともな登山道を使って登ってやるぞ!」と心に決めた石器人だったが、車に戻る為に止むを得ず「最短コースである先程やっとの思いで登ってきた藪の中」に再び突入し、転がり落ちて行くのだった。



※追記

事前に国土地理院の地形図を確認した、と書いたが、興味のある方は国土地理院の地形図閲覧サービスで、「丸山」の地形図を覗いてみて欲しい。エジプトのピラミッドのような「四角錐」とはまた別の、かなりきれいな「三角錐」の形をした丸山が確認出来る筈だから。

尚、ダムの名前なのだが、Google Mapでは「野花南ダム」となっているが、国土地理院の地形図では「丸山ダム」となっている。どっちが正しいんだろう?


(続く)



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