2018年7月28日土曜日

千歳川第4発電所下流に地獄穴が在るんだか無いんだか?・・・とにかく行ってみるべ(附:ウサクマイ遺跡群)


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久しぶりの地獄穴ネタだべさ。

以前にこのブログで紹介した、知里真志保・山田秀三著あの世の入口 -いわゆる地獄穴について-という地獄穴に関する資料の23ページに、こんな記述がある。

以下引用~

(15)千歳町内のオマンルパル

胆振国千歳町内千歳川第4発電所より下流に、シュネチセという所がある。むかしここにひとりの老人が住んでいて、冬でもどこから取ってくるのか、青々としたギョージャニンニクを食べていた。部落の若い者が、すこしわけてくれないかと頼むと、
「おれはまもなくこの世からいなくなるのだから、これを食べてもいい。しかしこれはあの世へ行ってもらって来るもので、おまえたち若い者の食べるものではない」
と云って、いくら頼んでも分けてくれなかった。それでこの近所にオマンルパル(あの世へ行く道の入り口)のあることだけは分かったけれども、誰もその場所を知らなかった。
シュネチセからすこし離れたペサプドという所の川岸にも、オマンルパルがあるという。(1951年6月2日、千歳町、今泉柴吉氏談)

~引用終わり。





文中の「千歳川第4発電所」というのは、「王子製紙の水力発電所がある第4ダム」のことと思われる。

㈶日本ダム協会のサイト「ダム便覧」に拠ると、発電所とダムが一体となっており、「石張りダムと煉瓦発電所の組み合わせ」という珍しい形態で、「近代土木遺産」にも選ばれているとのこと。

下流に、シュネチセという所があるという記述の「シュネチセ」というのは、注釈に拠ると「松明小屋(そこへ泊って松明を燃して鮭をとる小屋)」ということなので、恐らく現在の「千歳さけますの森 さけます情報館」のある辺りでないんだべか?

という訳で、こんな風に場所を明記してくれるのは非常にありがたいことでもあるので、6月に現地に行ってみることにしたんだべさ。


これが地図代わりの航空写真。
  
↑それぞれのポイントを中央に持ってきて、画面左下の倍率ボタン(+)をクリックすれば、ポイント個所が拡大できる。







千歳川第4発電所の下流で地獄穴「オマンルパル」を探すべ

6月下旬のよく晴れた日に、車で自宅を出発して千歳市を目指し、国道36号沿いに千歳市に入ったら、錦町で道道117号「支笏湖公園線」へ右折して、支笏湖方面を目指して走る。


蘭越の千歳川を渡る鳥柵舞橋の手前で、「千歳さけますの森 さけます情報館」へ向かう側道へ右折(地図ポイント1)

もう一度千歳川を渡る橋の手前に駐車スペース(地図ポイント2)があるが、道が結構広いので、橋を渡ってすぐ左手にある「ウサクマイ遺跡群」を横目に見ながら、そのまま車で進むことにする。

橋を渡ると路面はダートに変わってしまうのだが、フラットで荒れてはおらず、結構快適に走れる。



橋から1kmくらい来た辺りだろうか、右手に千歳川沿いに降りて行く歩道の入り口がある。

第4発電所への歩道入り口
↑実は最初にここを見落としてしまい、200m以上進んでから通り過ぎたことに気が付き、引き返してやっと見つけたのがこの入り口。



道路脇に駐車スペースがあるので、それを目印にするといいかもしれない。

駐車スペースが目印



歩道に入ってすぐに、こんな看板がある。

見取図看板
↑オレンジで囲んだ「現在地」から、左端の終点「王子製紙㈱千歳第4発電所」までを歩くことになるんだべさ。



歩道はこんな感じ。

歩道の様子



こんな看板も。

釣りしたらダメなんだと



歩道を少し歩いてから、地獄穴があるらしい千歳川対岸の方向を撮ってみたのだが、葉っぱが多くて見難い。

見通しが悪い…
対岸が見えん…
↑地獄穴「アフンルパル」は、おそらく千歳川の両岸のどこかにあると思われるのだが、こっち側の川岸はまだしも、対岸は繁茂する草木で殆ど見えないんだわ…。




さて、見通しのよい場所を求めて、更に進んでみるべ。

更に進む



時折、対岸方向を撮影してみるのだが、こっち側の川岸はある程度確認出来るんだけど、向こう側の川岸は無理だな、こりゃ…。

やっぱり向こう岸は見えんな…




更に進むと落石の個所も…。

落石だんべ



ある程度対岸が見える場所もあるのだが

対岸方向
これも対岸方向
↑この程度の見通しでは埒が明かないべさ…。




そのまま進んで行くと、車が通れる林道に出た。どうやら、第4発電所へ続く林道らしい。

林道に出る



その林道を千歳川沿いの右方向へ進むべ。

右手に進む



付近にダム放流注意の看板がある。

放流注意



さて前に進むべ。

林道を進む



相変わらず対岸は見通しが悪い。

見難いな…
なんも見えんわ…
「地獄穴」はこんな場所にありそうなんだけど…



勿論、川の両岸だけじゃなく、こういう道路の法面の上方なども

道路の上もなんもない…
目を凝らして観察しながら「地獄穴」を探して歩いて行くのだが、見通しが悪くて在るんだか無いんだか…。



それにしても、あんまり「穴!穴!穴~ッ!」と血眼になって探すもんだから、終いにはこんなものとか

穴~ッ!



こんなものまで「地獄穴」に見えてきたべさ。

穴!穴~ッ!




などとキョロキョロしながら進んで行くと、いきなりゲートが!

おお!ゲート出現



立入禁止だとさ…。

立入禁止
なるほど…
この先は発電所構内になるので「立入禁止」ということの様だ。どうやらいつの間にか「発電所がある千歳川第4ダム」に到着してしまったらしい(地図ポイント5)




樹々の隙間から、第4ダムと煉瓦造りの発電所の建物の一部が見えるべさ。

ダムが見える


その手前には対岸に渡る橋らしき物も見えるのだが、「立入禁止」なので行くことは出来ない。

渡って向こう岸まで行ってみたいけど…



仕方ないので、また向こう岸を撮影してみるんだけど、やっぱり見えない…。

相変わらず葉っぱが邪魔だべさ


という訳で、いつの間にやら終点の「発電所がある千歳川第4ダム」に到達していたんだけど、相変わらず視界が悪くて「地獄穴」は見つからなかった、という締まりのないお話だべさ。

ここまで歩きながら思ったんだけど、これはどうやら来る時期を間違ったみたいだべさ。

葉っぱが完全に落ちる11月中旬以降に来れば、恐らく見通しは今とは比較にならないほど良くなるだろうから、その時期にでもまた来ることにするべ。

ということで、元来た道を引き返すことに。





おまけ:「ウサクマイ遺跡群」をチラ見してみるべ

さて、こんな按配で地獄穴「オマンルパル」は見つけることが出来なかったのだが、その代わりに、ここに来る途中にチラッと看板を見た「ウサクマイ遺跡群」にちょこっと寄ってみることに。


千歳川に架かる橋の手前まで戻ると、「ウサクマイ遺跡群」の入口がある。

入口



看板に拠れば、「およそ1400~800年前につくられた村の跡」ということで、こちらの場所は「ウサクマイC遺跡」というらしい。

どうしても「馬臭い遺跡」に見えてしまうんだべさ…
楽しそうなイラストだんべ
擦文時代なんだとさ
↑実を言うと「擦文時代」という言葉を知ったのは、山田秀三著「北海道の地名を読んで、色々興味を持ってネットなどで調べ始めてからのことなんだけども、それにしても、「ウサクマイ」をパッと見「馬臭い」と読んでしまうなど、石器人みたいな無知な人間というのは先入観念も怖いものも無いから、ある意味気楽なもんだべさ。




これが遺跡に向かう歩道の入り口。

歩道の入り口



林の中はこんな感じ。

林内の歩道



ちゃんと案内標識がある。

道標あり



至れり尽くせりだが、見りゃわかる様な気も…。

看板要るか?コレ




こちらが住居跡らしいのだが

そう言われればそう見えなくもない…
標識が立ってるから間違いないんだべな
「住居跡」と書いてないと、何が何だかわからない様な場所だ。




こちらも

別の住居跡



そして、こちらにも…。

これも別の住居跡
↑標識が立ってないと、本当に何が何だかよくわからん場所だんべ。こんな中から住居跡を特定するんだから、やっぱり専門家は偉い!



こんな風に、一通り「ウマクサイC遺跡」の中を回ってみたのだが、藪や木の葉っぱが邪魔で見通しがあんまりよくないのは、上記の「千歳川下流のオマンルパル」と同様だったべさ…。







YouTubeにも動画をアップロードしといたべさ

YouTubeの方にも今回撮影した動画をアップロードしたので、ブログに貼ってみたべさ。

  






ということで、「千歳川下流のオマンルパル」「ウサクマイ遺跡」の探索は終了したのだが、上にも書いてる様にやっぱり時期が悪かった…。次に来る時は葉っぱの落ちた11月以降にした方が、どっちも遥かに見やすいと思われるべさ。


※関連動画

YouTube「千歳川第4発電所下流に地獄穴が在るんだか無いんだか


(続く)  (前回)


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-関連記事-
地獄の入口

-リンク-
石器人の足掻き
イテテテ団

2018年7月6日金曜日

夕張に「アイヌ伝説集」に載っている「悪者部落」を探しに行ったら・・・


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今回も、以前紹介した更科源蔵編アイヌ伝説集から拾ったネタの話だべさ。

その「アイヌ伝説集」の159ページに、こんな記述がある。以下引用。

「夕張奥の悪者部落」

夕張の奥にトムンチ・コタンというところがあり、ここには熊でも獺(かわうそ)でも狢(むじな)でも蜂でも、この世の中であらゆる悪いことをした、性の悪い者ばかりを集めて置いたところがあると伝えられている。(名寄市日進・北風磯吉老伝) ~引用終わり。



名寄の古老が何故夕張のことについて詳しいのかはよくわからないのだが、非常に面白そうな話なので、この本の話の中でも、特に頭に残っていた。

最初にコレを読んだ時は、「熊」とか「獺」とか「蜂」とかしか記載がないので、「人間の悪者」は除外されてるんだべか?と思ったのだが、「性の悪い者」という書き方だと、人間も当然含まれている様な気もする。

なにより「悪者部落」という集落を形成する訳だから、それは多分人間がいないと難しいと思われるし、おそらく大昔に人間の住んでいた場所に、「悪者部落」の該当する処があるのでは?

という見込みで、何の手掛かりも無い(ネットで検索しても「アイヌ伝説集」に書いてある以上のことは出てこない)んだけど、夕張まで「悪者部落」の痕跡を探しに行ってみることにした。

こちらが探索した場所の地図。

  


現地に行ったのは5月~6月にかけての計3回だったのだが、流石に夕張は広くて、3回かけてもとても全地域を隈なく見て回ることは不可能だった。以下がその時の記録だんべ。





アイヌ伝説「悪者部落」探し 第1回目(2018年5月中旬)

5月中旬に行った第1回目の探索なのだが、夕張奥の悪者部落」と言うからには、嘗て栄えていた「炭鉱地区」ではなく、山深い「シューパロ湖より北」方面のことではないんだべか?という、何の根拠もない見込みで、シューパロ湖から国道452号を北上してみることに。


まずは、清水沢からシューパロ湖を目指して国道452号に入り、南大夕張の集落を通って

南大夕張(南部東町)


すぐにトンネルに入り、そこを抜けるとシューパロ湖が眼前に現れる。地図ポイント1

トンネル出口近くの駐車場よりシューパロ湖東側方向を望む 地図ポイント1

トンネル出口近くの駐車場よりシューパロ湖北側を望む
美瑛の青い池に少し似てるかも


シューパロ湖から車を飛ばし、「三笠まで31km」の地点まで来たのだが、この間、人家は一軒も無かった…。

三笠へ抜ける峠のトンネルももう近い
これ以上進むと三笠に入ってしまうので、ここでUターンして国道452号を引き返すことにした。



引き返す途中で、夕張川を渡って上巻沢方面に続くと思われる林道があったので入ってみたのだが(地図ポイント3)

上巻沢への入り口?地図ポイント3


すぐに通行止めになっていた。

夕張川を渡ってすぐにゲートで通行止め
橋を渡り、対岸に残っている道路を辿って「悪者部落」の探索をしようと思ったのだが、無理みたいだべさ。




更に国道452号を戻ると、2013年?だったかにシューパロダムが完成したために、ダム湖に沈んだ鹿島地区へ降りて行くと思われる道の入り口を発見したのだが(地図ポイント4)

湖底に続く道?地図ポイント4


ここも通行止めだった。

柵で通行止め
この先は「春日町」と呼ばれていた地区なんだろうか?



それにしても、とにかく人家も何もないもんだから


なんもない




「悪者部落」の痕跡も掴めないまま、またシューパロ湖に戻ってしまったべさ。

シューパロ湖に戻った
何も見つからなかったので、仕方なく今回は帰路に就くことに。

それにしても、場所に関しては「夕張奥」というヒントしかないのに、いったいどうやって探したらいいんだべ?



アイヌ伝説「悪者部落」探し 第2回目(2018年6月中旬)

前回、シューパロ湖の北側の国道沿いには「悪者部落」の痕跡は見つけられず、夕張川の対岸に渡ることも出来なかったので、6月中旬のよく晴れた日、再びシューパロ湖方面までやって来た。

また来た


で、前回と同じく国道452号沿いを北上して、見落とした個所は無いか探してみたのだが

やっぱりなんもない
人家も無けりゃ人も居らず、勿論「悪者部落の痕跡」は見つからない…。というか、その「悪者部落の痕跡」自体がどんなものなのかも、さっぱりわからないまま走り回ってるもんだから、まるっきり雲を掴むような状態なんだべさ…。



仕方なく、戻ろうと南部東町まで来たところで、「シューパロダム 3km」への分岐看板が目に入り、左折してその「シューパロダム」方面に行ってみた。地図ポイント7

シューパロダム方面へ 地図ポイント7
その結果、思わぬ場所に遭遇してしまったのだが、厳密に言うと「悪者部落」とはあんまり関係ない話なので、この記事の一番下「番外編」で詳しく書くことにするべ。




アイヌ伝説「悪者部落」探し 第3回目(2018年6月下旬)

さて今回は、前回まで行っていた「シューパロ湖」方面ではなく、まずは嘗ては炭鉱があって繁栄していた、市役所のある本町、「石炭の歴史村」がある高松地区、そして岩見沢市万字へと抜ける道道38号(夕張岩見沢線)沿いにある、「丁未風致公園」のある辺りまで足を延ばしてみることにしたべさ。


ということで、まずは一気に岩見沢市との境界近くにある「丁未風致公園」まで行ってみた。地図ポイント5

丁未風致公園入口 地図ポイント5


「ようこそ」とは書いてあるし、一応開園期間中(5/21~11/2)ではある筈なのだが

開園はしている様だ


あちこちに「立入禁止」の看板が…。

開園期間中の筈だが?


ああ、なるほど。現在は赤枠で囲われた一部しか解放していない、ということらしいべさ。

赤枠の部分のみ解放中



石器人にとっては、人が居なくて落ち着く場所なのだが

いや~、落ち着く…
落ち着くわ…
落ち着くんだけど、ここには「悪者部落」はありそうもないので、戻ることにするべ。



道道38号を引き返すと、途中で「歴史村駐車場」の標識が…。これは多分石炭の歴史村のことだべな。

「歴史村駐車場」



あんれ?閉鎖されてるべさ。確か「石炭の歴史村」って「石炭博物館」とかまだ稼働中だったような気が…。

閉鎖?



そのすぐ横にある施設入り口も閉鎖されていたべさ。

「パスポート売り場」とのこと


その先の「キャンプ場入り口」も立入禁止になってるべさ…。

キャンプ場も立入禁止
おかしいな、確か「石炭の歴史村」って、確か「石炭博物館」とかがあってまだ稼働中だったような記憶が…。



不審に思いながら更に本町方面に戻って行くと、「石炭の歴史村入り口」の標識が。

こっちが本物?


どれ、入ってみるべ。地図ポイント6

誰もいない… 地図ポイント6
↑駐車場に来たけど、誰も居ないしなんも無いべさ…。



いや、煙突みたいな標識?はあったな。

「夕張希望の丘」ってなんだべ?


「ホントに何もねえべさ」と思いながら辺りを見回していたら、駐車場の北東方向に何かあったべさ。

あっちが「石炭博物館」?
↑あっちの方向に、現在も稼働中の「石炭博物館」がある様だが、石器人は、その手の施設にはあんまり興味は無いので、そそくさとこの場所を退散することにしたべさ。





さて、後は今年に入ってもう2回も訪れている「シューパロ湖」方面に、また向かうことにしたのだが、何故こっち方面に行きたくなるのかは、自分でもよくわからない…。

ということで、シューパロ湖の北側にある「大夕張の碑」のある処までやって来たべさ。地図ポイント2

夕張岳登山道に続く橋だんべ
この像の着ている服は前から気になっていたんだけど 地図ポイント2
管理者は容認してるのかい?コレ
↑なんで服を着せているのかはわからんけど、ブロンズなら地肌のまんまの方がいいんでないのかい?



さて、ここから先は前に2回来てるし、もう探すとこもないみたいだから戻ることにするべ。

ということで、ま~た南部東町のシューパロダム方面に向かうこのT字路に来たべさ。地図ポイント7

シューパロダムへの分岐 地図ポイント7
↑今回もまた左折して、上の方に書いた「例の場所」まで行ってみることにするかい。




番外編:アイヌ伝説「悪者部落」を探していたら、南部青葉町の廃屋集落でとんでもないものを見つけたべさ!

この「番外編」の場所には第3回目の探索時(6月下旬)にも足を運んでいるんだけど、今回は第2回探索時(6月中旬)に撮影した写真を使って説明することにしよう。


シューパロ湖の北側では「悪者部落」の痕跡を見つけられなかったので、引き返して南部東町の交差点から、このシューパロダム方面へ向かう道を下りて行ったのだが

こんな道を下って行くだよ



しばらく行くと夕張川をに架かる「南部大橋」に出る。

南部大橋
夕張川




で、この橋を渡ると、いきなりラーメン屋の廃屋が出現する。ここから先が地図ポイント8の南部青葉町の廃屋集落となる。

ラーメン屋?



その先には両側に店舗跡の廃屋が…。

こう見る大したことない様に見えるけど、れっきとした廃屋だべさ…
↑道路の先はシューパロダム。この後一通り車で回ってみて(下の動画参照のこと)から、集落の中の道路に車を停めて、今度は歩いて一回りしながら、FinePix S9900Wで写真を撮ってみることにした。




以下が、そのFinePix S9900Wを使って歩きながら撮影した時の状況。

さっきの橋を渡ってすぐの「ラーメン屋の廃屋」まで行って、夕張川の下流方向に向かってみるべ。

ラーメン屋を右へ
↑オレンジ色の矢印が夕張川の下流方向。




道の脇には、もう既にぶっ潰れて草に埋もれている廃屋も…。

倒壊した廃屋




左手に道があるので入ってみるべ。

左側の道に入る


2軒とも廃屋だべさ。

廃屋続き



その向かいには潰れた廃屋も。

ぺっしゃんこ



あちこちがこんな具合。

潰れた家が多い
↑やっぱり北海道の場合は、雪降ろしをしないで放置しておくと、こうなる運命なんだべな…。




さて、先程のラーメン屋から右折した道に戻って、今度は直進してみるべ。

今度は直進



するとその先に、一見まともに建っている様に見える家が。

比較的きれいに見える


玄関もきれいだ。…けど、おや?これは!?

コレはアレだべさ…





これって北海道では知る人ぞ知る、「Y張H険金S人事件」で極刑になった犯人の家でないのかい!?

ああ、やっぱりそうだ…




いやいや、そうかい、ここがそうだったのかい…。それにしても、アイヌ伝説「悪者部落」を探していたらここに来てしまった、というのも何と言えばいいのやら…。

よく見りゃ結構荒廃しているべさ
この物件、道路に面する部分は結構しっかり残っているのだが、建物の奥の方はやっぱりかなりのダメージを受けてるみたいだべさ。



さて、気を取り直して、今度は「WG-M2」でもこの南部青葉町集落一帯を、一通り歩いて動画を撮影してみた(記事最後の動画参照)のだが、廃墟だらけの集落の中を歩いていると、何やら不思議な感覚に襲われてくる。人間の営みの儚さみたいなものを感じるというか…。

いずれにしても「気持ちが高揚してくる」という様な場所でもないから、とっととここから立ち去ることにするべ。



ということで、廃屋だらけの集落を探索していたら、思ってもいなかったものが見つかったという「番外編」のお話だべさ。






YouTubeにも動画をアップロードしといたべさ

5月中旬から6月下旬の間に3回探訪した時の内、「番外編」の廃墟集落まで足を延ばした6月中旬撮影の動画を2回に分けて、YouTubeにアップロードしておいた。

  
  
このYouTubeチャンネルのアカウントでは、未だ「15分縛り」の規制を解除していなかったので、15分未満の動画2本に分けてアップロードしたべさ。

3回目の6月下旬の探訪時にも、この南部青葉町の廃墟集落は撮影しているので、いずれまたYouTubeにアップロードしてみたいべさ。





ところで、このアイヌ伝説「悪者部落」探しなのだが、まだ回っていない地域がかなり残っているので、次は夕張岳登山道に向かう道に入って、その周辺を探索してみたいと思ってるんだべさ。




(続く)  (前回)



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