2018年4月2日月曜日

アレ?ここは確か墓場だった筈だが・・・


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もう十数年前になるだろうか…。

石器人がボロ車で行き当たりばったりの風任せドライブをしていた時に、空知のとある街の、山の中にある寂れた墓地に吸い寄せられ(墓場に引き寄せられる件については墓場への誘い セロー225 (Hakaba eno izanai Serow225)」を参照のこと)、偶然「200坪80万」の土地を見つけた時の話である。





よく晴れた6月頃のことだったと思うのだが、石狩管内の自宅から何となく美唄方面に向かい、東明を過ぎた辺りで道道1130号に乗っかったところで、このままどこまで国道12号に頼らず北上出来るか、行けるだけ行ってみようと思い付いた。


茶志内を過ぎ奈井江町に入ってからは、途中「向ヶ丘」という寂れた集落に寄り道などしながらも、淡々と北上を続けていたのだが、砂川市に入ると国道12号に合流してしまった道道1130号から離れ、尚も国道12号沿いの裏道を使って北上を試みていた。


その裏道も「いよいよ国道に合流するしかないか?」という状況になってきたのだが、丁度その時、道央自動車道が走る山側の方向に、ついフラフラと入って行きたくなるような狭い道を発見したのである。



これと言って目的は定めず、行きたい方向に行くのが趣旨のドライブだったので、迷わずその寂しい山側の道に入ってみることにした。

渋いラブホテルの横を通って山側に向かって走って行くと、途中から舗装が切れて砂利道となり、登り勾配も急な鬱蒼とした林の中の薄気味悪い道へと変わる。

墓場への誘い セロー225 (Hakaba eno izanai Serow225)」でも書いた様に、石器人は当時からドライブやツーリングをするたびに、何故か頻繁に「ある場所」に引き寄せられていたので、この時点で嫌な予感はしていたのだが、好奇心の方が勝ってその山道を進むことにしたのである。


ということで、その「日も当たらない山の中の薄暗い砂利道」を車で上って行った結果、見つけたのがコレ。

日も当たらない墓場横の売地
当時写真も撮ったのだが、保存していたCD-Rが悉くダメになり、現地の写真は残っていないので、止むを得ずペイントを使って、朧げな記憶に頼りながら当時の現地の状況を再現してみた。

石器人は絵心が無いので伝わらないとは思うが、「水木しげるの漫画に出てくるような寂れた墓場」が薄暗い林の中の急斜面に突如出現し、墓場の片隅にはご丁寧に不気味な柳の木まで生えている…。

「グエ~、ま~た墓場に連れてこられたべさ…」とげんなりしたのだが、墓場の周囲を観察している内に驚くべきものを発見した。


なんとこの薄暗い山の中の墓場のすぐ隣に「売地」の看板が立っていたのだ!

その看板には、確か「200坪80万円」と書いてあったと記憶しているのだが、墓場の真横の、おまけに平坦でもなく日も当たらない斜面の土地が80万もするって、いくら200坪の面積があるとは言っても「こんなお化けが出そうな場所、いったい誰が買うのよ?」と思ったのを憶えている。


あんまり長居したくなる様な雰囲気の場所でもなかったので、さっさと国道沿いの裏道まで戻り、国道12号に合流した後は、滝川から新十津川方面を目指し、新十津川からは国道275号沿いの裏道を南下して帰路に就いたのだった。

一度行ったらもう十分な場所だったので、その後再び訪れることもなかったのだが、何故かその「墓場の上の不気味な売地」の事だけは、強烈に石器人の頭に残っていた…。







時は流れて2016年のよく晴れた夏の日の事。

久しぶりに国道12号を通らずに北上する「裏道ドライブ」をやってみるべ、と思い立ち、自宅を出て美唄→道道1130号に乗っかり、そのまま北を目指してボロ車を走らせることにした。



こんな風景の中のんびり走りながら北を目指す。

西側の浦臼方面を望む



で、以前来た時と同様に滝川市の近くまで来た時に、突然「アレ?ここって例の墓場の売地の入り口でなかったべか?」と思い出したべさ!

右折すれ墓場だったような記憶が…
↑この十字路を右(山側)に曲がれば、確か例の「墓場の売地」に出るんでなかったべか?



ということで、折角ここまで来たのだからと、右折して「墓場の売地」まで行ってみることにした。

ラブホテルは以前のままだべさ



近くにはこんな朽ち果てた集合住宅も。

廃墟だべさ




更に上に向かって進んで行くのだが、何か以前と様子が違う…。道が立派過ぎるのだ。

訝しく思いながらも、「確か、例の墓場の売地はこの道路の延長線上にあった筈だべ」と、墓場があったと思われる地点まで来てみたら、墓場はどこにも見当たらず、なんと小奇麗な住宅地へと変貌していたのだった!

どうやら墓場を含む山の斜面自体を造成し直して住宅地に変えてしまったようで、憶えている地形とはかなり違ってしまっている。

例の「売地」があった筈の場所にも家が建ち、元々墓場だったと思われる場所にも、別荘の様な住宅が建ち並んでいた。

じゃあ元々あったはどこに行ったのか?ということになるのだが、確かここからすぐ近くの某お寺の墓地へ続く道があったと記憶しているので、そちらに移転したんではないんだべか?




写真も撮影したのだが、このブログで「元は墓場でなかったべか?」と書いてしまっているので、現地の住宅地の写真を載せるのは控えることにする。代わりに簡易な見取図と、墓場があったと推測される場所にある十字路から、某お寺の墓地へと続く道路を撮った写真を載せることにするべ。

現地見取図

某お寺の墓地へ続く道
↑両側に広い敷地の、別荘地を思わせる様な閑静な住宅地がひろがっているのだが、当時とは全く様相が違ってしまっている。この道路の右側手前部分が墓場だった筈で、当時は今よりもずっと急斜面だった記憶が…。お寺の墓地へ続くこの道路も、こんなに立派な道じゃなかったし…。

当時は、例え「タダでやるから!」と言われても欲しくなかったあの「墓場の隣の売地」も、こんな姿になるとわかっていたら考え直していたかもしれないべさ。





ということで現地のあまりの変貌ぶりに一頻り驚いた後は、また山を下りて国道12号から新十津川方面を目指し、新十津川からは国道沿いの農道を南下して帰路に就いたという、あっさりした旅のお話だべさ。



※追記

今回は「現地が元は墓場だったのでは?」という昔のあやふやな記憶を頼りに書いていることもあり、プライバシー保護の点にも配慮して、Googleの「地図」も「航空写真」も載せないことにしたべさ。


(続く)  (前回)


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