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以前、石器人がネットで北海道の不思議なスポットについて色々調べている内に、アイヌ語で「アフン・ル・パル(若しくはアフン・ル・パロ)」、通称「地獄穴」と呼ばれる場所が道内各地にあることを知った。
で、その「アフン・ル・パル」について詳しく調べようと道立図書館に行き、館内の検索用パソコンで参考文献を抽出していたら、アイヌ語地名研究家としても名高かったらしい(石器人は浅学の為、全く存じ上げなかったのだが…)北海道曹達株式会社の経営者、故・山田秀三氏著の「北海道の地名」(北海道新聞社刊)という本を見つけたのだ。
これがその「北海道の地名」だ。
で、その「北海道の地名」に載っていた「アフン・ル・パル」に関する記述なのだが、例えば
<阿分>
信砂川口のすぐ北に続く土地の阿分、今は元阿分となっている土地に関する記述で、明治30年5万分図ではアフニと記載されているのだが、村名は阿分と書いてアプニと振り仮名してある。これについて(以下引用)
~永田地名解(*注1)では「アフニ。入り込みたる処」と書いた。アフニならアフン・イ(ahun-i)で「入る・処・入口」と読まれる。どこかの入り口だったろうか。また方々の土地にアフン・ル・パル「(あの世へ)入る・路の・口→通称地獄穴」と呼ばれる洞穴がある。~以下省略。(「北海道の地名」P.127より引用)
という様な記述や、
<アフン・ル・バル>
こちらは「アフン・ル・バル」そのものに関する記述で(以下引用)
また、その「リフルカ」に関する記述としては
<リフルカ(蘭法華高台)>
登別地区と幌別地区の間に、長尾根が海に突き出していて、そこがリ・フル・カ(ri-hur-ka 高い・丘・の上)と呼ばれていた。~以下省略。(「北海道の地名」P.392より引用)
という記述の他に
<冨浦 とみうら(欄法華 らんぼっけ)>
登別の川下から、すぐ西側のリ・フルカ(高い・丘)と呼ばれた丘陵を越えた処が冨浦である。~以下省略。(「北海道の地名」P.392より引用)
などの記載もある。
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更に、上記の「地獄穴」についてもっと調べてみようと、今年になってから、とある日曜日、また道立図書館に出かけたのだが、そこで非常に興味深い文献を見つけた。
山田秀三氏の文献がどれくらい所蔵されているのか調べるのも、もう一つの目的だったので、館内の検索用パソコンで山田氏の文献の目録を抽出して眺めていたら、面白そうなタイトルの文書が目に留まったのだ。
それが、北海道大学北方文化県境報告第十一輯(しゅう)別冊(昭和31年3月)の「あの世の入り口 -いわゆる地獄穴について-」という冊子で、山田秀三氏とアイヌ言語学者として有名らしい(この方も石器人は浅学故に存じ上げなかったのだが…)故・知里真志保博士との共著である。
これがその「あの世の入り口 -いわゆる地獄穴について-」
全33ページのA4版小冊子で貸出し不可能の資料だったから、目次と気になる箇所だけコピーさせてもらおうと思ったのだが、何とこの資料に関しては全ページ複写OKとのこと!
喜んで、早速館内のコピー機でコピーさせてもらった(勿論有料)。
コピーした資料はこんな感じでファイルに閉じて纏めておいた。
目次の写真だけ載せておこう。
これだけの数の「地獄の入り口」についての話が、道内にあるらしい。
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この「あの世の入り口 -いわゆる地獄穴について-」をざっと読んでみて、まず興味を惹かれた場所は、石器人にとっては「鬼斗牛山」で馴染み深い比布町にある、「(8)比布川岸のウェンルパロ」である。
「あの世の入り口 -いわゆる地獄穴について-」に拠れば「ウェンルパロ」というのは、「Wen-ru-paro(悪い・路・の口)」という意味の様で、「地獄穴」と同じ様な意味があるらしい。
ということで、「地獄穴」についての第一回目の探検なのだが、まずはこの「比布川岸のウェンルパロ」に行って、実際にこの目で拝んでみることから始めるとしようか。
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*注1 永田地名解:永田方正が編纂した「北海道蝦夷語地名解」のこと。
*注2 知里さん:アイヌ語研究者の知里真志保博士のこと。
(続く) (前回)
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