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芦別市の野花南に、丸山(芦別市野花南のピラミッド?「丸山」参照)という奇妙な形をした山があることは以前にも書いた。
現地に行って山頂まで登ったりしてみたのだが、山自体が何かの遺跡かもしれないと考え、帰ってからも丸山について色々調べている内に、その丸山の近くに縄文時代の遺跡が存在することがわかった。
それが「野花南周堤墓群」という名称の遺跡で、文化庁の「文化遺産オンライン」や北海道の「北の縄文(野花南周堤墓群(芦別市))」のサイトに、遺跡に関する概略の記載がある。
で、それらのサイトにある簡単な説明だけでは満足できず、実際にこの目で確かめてみようと思い立ち、2004年の夏(だったと思う)に現地に行ってみることにしたのである。
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芦別から国道38号を富良野方面に向かって進むと、野花南大橋手前の交差点に遺跡の看板があるので、そこを右折する。地理院の地形図に拠れば47線と思われる農道を、1Km余り南下してから十字路を左折して、根室本線の線路を渡る。
これが地図。
地図上の淡いオレンジ色のマークが「野花南周堤墓群」で、濃いオレンジマークが丸山である。
線路を渡って右手に曲がり、線路沿いに南下するのだが、畑の真横なのでこの道路が農家の土地なのか公道なのかよくわからない。ネットで調べた限りでは私有地と国有地が混在している遺跡らしいが、侵入の許可を取ろうにも周りに人っこ一人いない…。
仕方なくそのまま進んでいくと、左手の畑の端の方に周囲を柵で囲まれた「野花南周堤墓群」遺跡が見えてくる。
線路沿いから左折して、農道の行き止まりに車を停める。そこから斜めに伸びている進入路を徒歩で歩いて行くと、柵で囲まれた周堤墓群の入り口に「芦別市教育委員会」による説明書きの看板が立てられている。
この看板が立っている箇所が、どうやら「1号周堤墓」と呼ばれる場所らしい。遺跡自体は思ったよりも小規模で、直径(外径)はおよそ25m、周堤の高さは30cm程とかなり低く、周囲を囲む柵がなければ見つけられなかったかもしれない。周囲の柵のさらに外側には、7,8本の立ち木が周りを囲むように点在していた。
「1号周堤墓」の内側は、大きめの石が無造作に転がっているような感じで、見た感じでは配置に規則性は感じられない。この転がっている石というのが、どうやら昭和37年に復元配置されたものらしい。周堤墓の内径は15m程であり、千歳の「キウス周堤墓群」よりもかなり小さい。
その「1号周堤墓」のすぐ北側にも直径11m程の 「2号周堤墓」という遺跡もあるのだが、パッと見「ただのくぼ地」みたいにしか見えない。
「1号」、「2号」共に、「直接見られる日本一大きな縄文時代のお墓」と言われる「キウス周堤墓群」のスケールには遠く及ばないのだが、周囲ののどかな風景と調和した雰囲気はなかなかいいと思う。見学中に根室本線の線路を列車が通ったのだが、空知川と線路に挟まれた遺跡というのも、いかにも鄙びた土地という感じがして、何やら自然に気持ちが和んだのを憶えている。
ところで、現地では写真を結構撮った筈なのだが、保存先をHDD(当時のPCは容量が40GBしかなかった)ではなくCD-Rにしており、一番安いメディアを買った所為かこれが裏目に出て、殆どのCD-Rが読み取り不能となってしまった…。1号、2号の両遺跡とも、かなりの枚数の写真を撮っていただけに本当に残念だった。
仕方ないので、代わりにGoogleの航空写真でも載せておこう。
地図と同様、淡い方のオレンジ色のマークが「野花南周堤墓群」」である。左下の倍率ボタンを操作して拡大すると、1号周堤墓の輪郭がはっきり見える。
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という訳で、この場所では特に眩暈なども感じることはなく「野花南周堤墓群」遺跡の見学は終わり、帰りに野花南ダムに寄り道して、例の「丸山」を拝んでから家路に就いたのだった。
(続く) (前回)
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