2016年12月23日金曜日

鬼斗牛山と岐登牛山


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ある時期、なるべく国道を使わずに、行き当たりばったりに裏道を通って北の方に行ってみようと思い立ち、農道や町村道を駆使しての裏道ドライブを結構頻繁にやったことがあった。

大体は国道12号沿いの山側の裏道を使う場合と、国道275号と12号に挟まれた農道を使う場合の二通りのルートになるのだが、目指していた訳でもないのに、何故か決まって最後は同じ場所に到達してしまうことが続いた。


本当に意図的でもなんでもなく、極力国道を走らずに気持ちの良さそうな裏道を無計画に進んで行ったら、不思議と「とある二つの山」の近くに引き寄せられたのだ。

それが旭川市の北の外れに位置する「鬼斗牛山」と、東川町の北にある「岐登牛山」という、奇しくも同じ「キトウシ」という読み方をする二つの山である。





その「二つのキトウシ山」について書く前に、まずは一つ目の「鬼斗牛山」迄の経路について、ざっと説明しておこう。

国道12号沿いの裏道を行く場合は、砂川まで国道とほぼ並行して走る道道1130号か農道を経由する。その後止む無く国道12号を一時的に出るが、滝川市に入ってすぐまた、国道の東側を並行する農道へ。そして、丸加高原を過ぎた辺りで、再度国道12号へ出るのだが、それからまたすぐ、今度は道道94号へ左折して北上し、妹背牛の市外に出る。

妹背牛からは、道道47号と並行して北側を走る農道を経由し、コップ山の麓を通って道道98号の湯内に出るか、若しくは道道282号経由で秩父別まで行って、そこから中山峠を超えて多度志に出てから、東方向の道道98号を進んで湯内まで行く。

湯内からは、旭川まで山間の道道98号を進み、嵐山で道道915号に左折して、江丹別から道道72号を通って鷹栖町に入り、道道99号に出て更に北上する。

北都橋を越えてすぐに、道道から分岐する東鷹栖14線に入り、22号とぶつかったら右折すれば、目の前に「鬼斗牛山(或いは三角山:標高379.3m)」が見える。


国道275号沿いに行く場合は、浦臼までは国道275号と12号に挟まれた地帯の道路の何れを通っても行けるので、それで取り敢えず奈井江と浦臼を結ぶ道道278号を目指す。278号に出たら浦臼市外を目指して一旦国道275号に出る。

国道を275号を北に少し進み、鶴沼を過ぎた辺りで葡萄畑の広がる天狗鼻の麓に通じる道に左折する。その少し先に於札内へ抜ける農道があるので、そこを右折。

そこからは札沼線と並行して走る農道を北上し、中徳富で広い農道に向かって左折する。その農道を上っていくと、右手にグリーンパークへ向かう農道が現れるのでそこを右折。

後は多少のドン突きや曲がりはあるものの、道なりに進めば大和の辺りで国道275号と合流する分岐に出る。

そこで国道を横断して滝川市に入り、函館本線の東側を走る農道を左折し、滝川広域農道に出た後、多少曲がりながらも道なりに進めば、今度は国道12号に出る。

国道12号を旭川方向に向かって左折し、少し行くと道道94号との分岐があるので、そこから後は「国道12号沿いに行く場合」と同じ。

「鬼斗牛山」から「岐登牛山」に向かう経路については、また後で触れることにしよう。





ということで、まずは「鬼斗牛山」が見える場所に辿り着く訳だが、ここで山名の「キトウシ」について考えてみた。

語感からしておそらくアイヌ語だろう、という見当はついていたのだが、旭川市のホームページに拠れば「ギョウジャニンニク(俗に言うアイヌネギ)がたくさん採れる場所」という意味らしい。

まあ、北海道ではアイヌネギなど、雪解けの時期にはそこらの山の沢筋に行けば珍しくもなんともないのだが、この山は「たくさん採れる場所」と名付けずにはいられない程ドッサリ採れるということなのだろう。




で、話を戻して東鷹栖の22号に到着してからの「鬼斗牛山」の件である。

まずは「鬼斗牛山」と、その後に向かう「岐登牛山」地図。

   


で、これが「鬼斗牛山」の航空写真。

   

↑この写真は少し拡大し過ぎたので、画像左下の-(マイナス)ボタンを数回クリックすれば、適度な縮尺で見られる筈だ。



前述したとおり、東鷹栖の22号線道路まで来ると、道路のほぼ進路上にこの「鬼斗牛山」が見えるのだが、雰囲気が何とも言えず良いのだ。

なだらかな傾斜地の田園地帯で、その中を通る道路も適度な起伏があり、目で見た感じではそれ程似ているとはと思えないのだが、何故か美瑛の畑を思い起こさせるような不思議な感覚が湧き出てくる場所でもある。

当時、付近を撮った写真が一枚だけパソコンに残っていたので、それを載せておこう。

「鬼斗牛山」を過ぎた辺りから鷹栖町方面を望んだ写真である。


「鬼斗牛山」は、確かこの画面の右斜め後ろ方向に位置していたと思う。


この「鬼斗牛山」、実は登山道があって頂上まで登れるらしいのだが、当時はそれがわからず、せいぜい「北側の麓を通る林道も使って山麓を一周」した程度の探索しか行っていない。次に訪れる時には是非とも山頂を目指してみたいものだ。





さて、「鬼斗牛山」に着いた後なのだが、次は何処に行こうかと暫く迷ってから、「そうだ、大雪山の見える方向に行ってみるべ」と思い立ち、道道520号に出て比布町に入り、そこから道道1122号を通って当麻町に入ることにした。そのまま直進すると道路は「黒岩山」の東側を迂回する山間の道道486号に変わる。更に進めば、旭山動物園方面に続く道道295号に変わるのだが、豊田の十字路を左折して「キトウシ森林公園家族旅行村」のある方向を目指す。

その道を少し上って右手にゴルフ場がある峠に着けば、そのすぐ左手のスキー場のある山が、なんと直前に訪れた「鬼斗牛山」と全く同じ読み方である「岐登牛山(キトウシ山 標高456.6m)」だったのだ。

西側斜面が頂上付近まで続くスキー場となっている為、登頂意欲をそそられない山ではあるが、東川町側の麓から伸びる道路が「展望閣」まで続いており、そこの駐車場に車を停めて、遊歩道沿いに山頂まで行けるらしい。


これがその「岐登牛山」の航空写真。
   

↑こちらの写真も拡大し過ぎなので、画像左下の-(マイナス)ボタンを数回クリックして適度な縮尺で見て欲しい。



この「岐登牛山」なのだが、特に意識して目指した訳でもないのに、何故か「鬼斗牛山」を訪れたすぐ後にここに連れて来られた?ことに不思議な縁を感じる。

実は、当麻町から山間の道に入った後は、適当に「気分の良さそうな道」を勘で選んで進んで来ただけなので、1回目に訪れた時はドライブ経路は、ろくに憶えていなかった。

にも拘わらず、その後数回訪れた際も「鬼斗牛山」を訪れた後は、途中の経路は毎回違うものの、何故かこの「岐登牛山」に引き寄せられる様に来てしまうから不思議なことだ。





ところでこの「岐登牛山」の語源なのだが、こちらも「鬼斗牛山」同様、「ギョウジャニンニク(俗に言うアイヌネギ)がたくさん採れる場所」という意味らしい。

なんとも安直なネーミングのような気もするが、直線距離で十数kmしか離れていない地域に、2箇所も「ギョウジャニンニクがたくさん採れる山」があるというのは、一体どういうことだろう?

遥か昔、それぞれの集落の人たちが「俺たちのトコの方がたくさん採れるぞ!」と張り合った結果なのだろうか…。



(続く)  (前回)



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2016年12月3日土曜日

謎の神殿?UFOを呼ぶハヨピラ


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日高管内の平取町に、「UFOを呼ぶ為に造られた施設がある」と知ったのはいつ頃だっただろうか。

「ハヨピラ自然公園」という場所だそうで、なんでも、マヤの神殿みたいな急な階段状の構造物が山の斜面一帯に建設され、嘗てこの地に降臨したというアイヌの神様「オキクルミ」の像や、UFOとか飛行機のオブジェなども設置されているということだった。



この施設のそもそもの成り立ちは、一部の好事家によって創設された「宇宙友好協会(略称C.B.A)」なる団体を母体として実施した事業の一環の様で、この団体についてはWikipediaに書かれている内容が、なかなか興味深い。尚、Wikipediaに拠れば、そこの施設の建設については、東京五輪の年の1964年に計画され、1967年に完成の暁を見たらしいのだが、その後「宇宙友好協会」は消滅してしまったらしい。

当初は「UFOとコンタクトする為の施設」として建設されたのだが、「宇宙友好協会」消滅後に平取町に移管されて「ハヨピラ自然公園」という名称に変わり、その後施設の老朽化などで、閉園となってしまう。現在は、遺構はそのまま残ってはいるものの、「公園跡地」という扱いになっている様だ。

で、その「ハヨピラ」という名前の語源なのだが、アイヌ語から来ているようだ。

後から現地を訪れた際に、平取町による語源の説明の看板を見ているのだが、詳しい内容は忘れてしまった。確か「武装した(ハヨ)」、「崖(ビラ)」から来ているという、よくわからない理由が書いてあった様な記憶がある。

その他にも、そもそもこの平取町には、平泉で死んだ筈の源義経が落ち延びてきたという伝説があり、「義経神社」なる神社(地図参照)も存在するのだが、その義経が置いて行った「武器」という意味のアイヌ語「ハヨ」と、それが置かれた場所を表す「崖」という意味の「ピラ」が合体した地名だという説もあるらしい。

以上、不確かな記憶で申し訳ないが、これについては検索すれば妥当な答えが見つかると思うので、ここでは敢えて詳しく触れないことにする。




話は逸れるが、Wikipediaを読む限り、この「宇宙友好協会」なる団体の創設から消滅までの経緯が結構面白かったので、ネットでいろいろと調べてみた。


その中でも特に興味深かったのが、「UFOの里ブログ」と、「ふるやの森」というブログに掲載されていた記事である。尚、どちらのブログもブログ名で検索すればトップに出てくるので、敢えてリンクは貼っていない。


で、まずは「UFOの里ブログ」なのだが、この中に「日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話」という文献から引用したとされる、「CBA(宇宙友好協会)事件の松村氏と初接触」と、「CBA(宇宙友好協会)元幹部来館」という、二つの記事が掲載されており、その記事の中で「宇宙友好協会」の主宰者の人となりに断片的ではあるが触れられていて、かなり貴重な情報だと思われる。


また、「ふるやの森」の方は「銀河連邦日本(略称G.F.L.J)」という組織によって提供されているブログなのだが、こちらには当時「宇宙友好協会」の幹部だったA氏という方がFacebookで公開された、団体設立からハヨピラ記念公園建設までの経緯について書いた話を転載した、「GFLJ5/22,2015:コンタクト活動の先駆け:CBA(宇宙友好協会)の活動について」という記事が載っていて、これがまた濃い内容で面白いのだ。(※この「G.F.L.J」という団体については、ここで触れるとまたまた脱線してしまうのでこれ以上触れないが、信じるか信じないかは別にしても、こちらもまあ面白い。詳しくは「G.F.L.J」のブログやそのリンク先のHPを読んで欲しい)

中でも、記事中のリンク先「【転載】CBAとは?」に転載された、前述の「宇宙友好協会」の当時の幹部A氏による文章は、団体の消滅に関して自戒的に触れられており興味深い。


記事の中身については、両ブログともこれ以上ここでは触れないが、当事者及び、当事者と接触のあった人間による文献として、当時を知る上でかなり貴重な資料だろうと思われる。

「UFOの里ブログ」の管理人様、「ふるやの森」の管理人様、ありがとうございました。





さて、話を戻して「ハヨピラ自然公園」の件である。

記憶が定かではないのだが、おそらく2000年の夏頃だったと思う。それまで話には聞いていた、平取町にある「ハヨピラ自然公園」に行ってみようと思い立ち、当時乗っていたセロー225に跨り日高方面に向けて出発した。


まずは地図だ。

   

地図上には「義経神社」の場所も見える。


もう一丁、「ハヨピラ遺構」の航空写真。
   

画像左下の-(マイナス)ボタンをクリックすれば、全体像が拝める。




経路としては、まず国道234号を南下して早来町から道道10号に進み、その後分岐を道道59号へ向かう。

すると国道237号にぶつかるので、そのT字路を左折して平取町方面へと進む。

平取町の市街地に入り、役場の前を過ぎた辺りで国道が緩やかに右にカーブしていて、そのカーブの起点にある信号から左手に直進して行く道に左折する。この道が「日高国道」と呼ばれている道らしい。

その「日高国道」をそのまま直進し、右側にカーブして沙流川を渡る橋の手前にある分岐を左折すれば、現在は「ハヨピラ自然公園跡地」となっている場所の登り口に着く。尚、ハヨピラの頂上の遺構は、道路のかなり手前から視認できる。


当時も入口のゲートは閉まっていて、「閉園」になっている旨の但し書きの看板があったのだが、ゲート脇から歩いて入れるし、特に「立入禁止」の表示も無かったので、ゲート手前にある空きスペースにバイクを停めて、そのまま歩いて登っていくことにした。

道の終点は広場になっていて、そこから石段が斜面頂上にある天辺が平たい三角形のオブジェに向かって続いている。

これが頂上付近に向けて撮った写真。

頂上を望む
石段途中にある円盤状のものは、どうやら「花時計」の跡らしい。


急な石段を上っていくと、UFOのオブジェの辺りの石段に金網のフェンスが設置してある。どうもそれ以上進むな、との意思表示らしいのだが、金網の両脇が空き放題なので、難なく通過できてしまった。

そのまま、写真集などで見るマヤやアステカの神殿もかくやと思わせる程に急な階段を上っていくと、道路から見えた「上が平たい三角形の構造物」の根っこに到達した。

その「上が平たい三角形の構造物」も、入口から中の階段を通って、「三角形の構造物の頂上」まで上がれるらしいのだが、鉄製の階段が当時でもサビサビの状態だったので、上ってみることは断念した、

尚、この「三角形の構造物の根っこ」地点からでも眺めは十分良くて、沙流川とその流域の景色が一望できたのだが、その時撮った写真は何処かに紛れ込んでしまったようで、探しても見つからない…。

という訳で頂上付近まで極めたので満足し、そのまま帰路に就いたのだが、下りの石段が急で、恐ろしいことこの上無い。ヘッピリ腰で石段を下り終えて下の広場に着いた時には、思わずホッとしたものだ。





以上が十数年前に行った「ハヨピラ自然公園跡」の探訪記録である。

確かに現地もそれなりに面白かったのだが、上にも書いた様に、それ以上に「ハヨピラ遺構」の成り立ちがとにかく興味深い。

普通、思い付きだけでは、素人工事で山の斜面を切り開き、UFOを呼ぶ為の祭壇を造ってしまう人間など中々いないと思われるのだが、実際にそれをやってのけたことにまず驚く。

ネットで見る限り、やっていることは新興宗教みたいに感じられなくもないのだが、しかし石器人はこういう人達が嫌いではなく、寧ろ羨望さえ覚える。何処に向かうかは別にして、少なくとも自分の様な凡人には無い強烈なエネルギーを持っている訳だし、何よりこういう人達が存在するから、この息苦しい世の中も少しは面白くなるのではないかと思っているからなのだが…。



(続く)  (前回)



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