2016年12月3日土曜日

謎の神殿?UFOを呼ぶハヨピラ


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日高管内の平取町に、「UFOを呼ぶ為に造られた施設がある」と知ったのはいつ頃だっただろうか。

「ハヨピラ自然公園」という場所だそうで、なんでも、マヤの神殿みたいな急な階段状の構造物が山の斜面一帯に建設され、嘗てこの地に降臨したというアイヌの神様「オキクルミ」の像や、UFOとか飛行機のオブジェなども設置されているということだった。



この施設のそもそもの成り立ちは、一部の好事家によって創設された「宇宙友好協会(略称C.B.A)」なる団体を母体として実施した事業の一環の様で、この団体についてはWikipediaに書かれている内容が、なかなか興味深い。尚、Wikipediaに拠れば、そこの施設の建設については、東京五輪の年の1964年に計画され、1967年に完成の暁を見たらしいのだが、その後「宇宙友好協会」は消滅してしまったらしい。

当初は「UFOとコンタクトする為の施設」として建設されたのだが、「宇宙友好協会」消滅後に平取町に移管されて「ハヨピラ自然公園」という名称に変わり、その後施設の老朽化などで、閉園となってしまう。現在は、遺構はそのまま残ってはいるものの、「公園跡地」という扱いになっている様だ。

で、その「ハヨピラ」という名前の語源なのだが、アイヌ語から来ているようだ。

後から現地を訪れた際に、平取町による語源の説明の看板を見ているのだが、詳しい内容は忘れてしまった。確か「武装した(ハヨ)」、「崖(ビラ)」から来ているという、よくわからない理由が書いてあった様な記憶がある。

その他にも、そもそもこの平取町には、平泉で死んだ筈の源義経が落ち延びてきたという伝説があり、「義経神社」なる神社(地図参照)も存在するのだが、その義経が置いて行った「武器」という意味のアイヌ語「ハヨ」と、それが置かれた場所を表す「崖」という意味の「ピラ」が合体した地名だという説もあるらしい。

以上、不確かな記憶で申し訳ないが、これについては検索すれば妥当な答えが見つかると思うので、ここでは敢えて詳しく触れないことにする。




話は逸れるが、Wikipediaを読む限り、この「宇宙友好協会」なる団体の創設から消滅までの経緯が結構面白かったので、ネットでいろいろと調べてみた。


その中でも特に興味深かったのが、「UFOの里ブログ」と、「ふるやの森」というブログに掲載されていた記事である。尚、どちらのブログもブログ名で検索すればトップに出てくるので、敢えてリンクは貼っていない。


で、まずは「UFOの里ブログ」なのだが、この中に「日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話」という文献から引用したとされる、「CBA(宇宙友好協会)事件の松村氏と初接触」と、「CBA(宇宙友好協会)元幹部来館」という、二つの記事が掲載されており、その記事の中で「宇宙友好協会」の主宰者の人となりに断片的ではあるが触れられていて、かなり貴重な情報だと思われる。


また、「ふるやの森」の方は「銀河連邦日本(略称G.F.L.J)」という組織によって提供されているブログなのだが、こちらには当時「宇宙友好協会」の幹部だったA氏という方がFacebookで公開された、団体設立からハヨピラ記念公園建設までの経緯について書いた話を転載した、「GFLJ5/22,2015:コンタクト活動の先駆け:CBA(宇宙友好協会)の活動について」という記事が載っていて、これがまた濃い内容で面白いのだ。(※この「G.F.L.J」という団体については、ここで触れるとまたまた脱線してしまうのでこれ以上触れないが、信じるか信じないかは別にしても、こちらもまあ面白い。詳しくは「G.F.L.J」のブログやそのリンク先のHPを読んで欲しい)

中でも、記事中のリンク先「【転載】CBAとは?」に転載された、前述の「宇宙友好協会」の当時の幹部A氏による文章は、団体の消滅に関して自戒的に触れられており興味深い。


記事の中身については、両ブログともこれ以上ここでは触れないが、当事者及び、当事者と接触のあった人間による文献として、当時を知る上でかなり貴重な資料だろうと思われる。

「UFOの里ブログ」の管理人様、「ふるやの森」の管理人様、ありがとうございました。





さて、話を戻して「ハヨピラ自然公園」の件である。

記憶が定かではないのだが、おそらく2000年の夏頃だったと思う。それまで話には聞いていた、平取町にある「ハヨピラ自然公園」に行ってみようと思い立ち、当時乗っていたセロー225に跨り日高方面に向けて出発した。


まずは地図だ。

   

地図上には「義経神社」の場所も見える。


もう一丁、「ハヨピラ遺構」の航空写真。
   

画像左下の-(マイナス)ボタンをクリックすれば、全体像が拝める。




経路としては、まず国道234号を南下して早来町から道道10号に進み、その後分岐を道道59号へ向かう。

すると国道237号にぶつかるので、そのT字路を左折して平取町方面へと進む。

平取町の市街地に入り、役場の前を過ぎた辺りで国道が緩やかに右にカーブしていて、そのカーブの起点にある信号から左手に直進して行く道に左折する。この道が「日高国道」と呼ばれている道らしい。

その「日高国道」をそのまま直進し、右側にカーブして沙流川を渡る橋の手前にある分岐を左折すれば、現在は「ハヨピラ自然公園跡地」となっている場所の登り口に着く。尚、ハヨピラの頂上の遺構は、道路のかなり手前から視認できる。


当時も入口のゲートは閉まっていて、「閉園」になっている旨の但し書きの看板があったのだが、ゲート脇から歩いて入れるし、特に「立入禁止」の表示も無かったので、ゲート手前にある空きスペースにバイクを停めて、そのまま歩いて登っていくことにした。

道の終点は広場になっていて、そこから石段が斜面頂上にある天辺が平たい三角形のオブジェに向かって続いている。

これが頂上付近に向けて撮った写真。

頂上を望む
石段途中にある円盤状のものは、どうやら「花時計」の跡らしい。


急な石段を上っていくと、UFOのオブジェの辺りの石段に金網のフェンスが設置してある。どうもそれ以上進むな、との意思表示らしいのだが、金網の両脇が空き放題なので、難なく通過できてしまった。

そのまま、写真集などで見るマヤやアステカの神殿もかくやと思わせる程に急な階段を上っていくと、道路から見えた「上が平たい三角形の構造物」の根っこに到達した。

その「上が平たい三角形の構造物」も、入口から中の階段を通って、「三角形の構造物の頂上」まで上がれるらしいのだが、鉄製の階段が当時でもサビサビの状態だったので、上ってみることは断念した、

尚、この「三角形の構造物の根っこ」地点からでも眺めは十分良くて、沙流川とその流域の景色が一望できたのだが、その時撮った写真は何処かに紛れ込んでしまったようで、探しても見つからない…。

という訳で頂上付近まで極めたので満足し、そのまま帰路に就いたのだが、下りの石段が急で、恐ろしいことこの上無い。ヘッピリ腰で石段を下り終えて下の広場に着いた時には、思わずホッとしたものだ。





以上が十数年前に行った「ハヨピラ自然公園跡」の探訪記録である。

確かに現地もそれなりに面白かったのだが、上にも書いた様に、それ以上に「ハヨピラ遺構」の成り立ちがとにかく興味深い。

普通、思い付きだけでは、素人工事で山の斜面を切り開き、UFOを呼ぶ為の祭壇を造ってしまう人間など中々いないと思われるのだが、実際にそれをやってのけたことにまず驚く。

ネットで見る限り、やっていることは新興宗教みたいに感じられなくもないのだが、しかし石器人はこういう人達が嫌いではなく、寧ろ羨望さえ覚える。何処に向かうかは別にして、少なくとも自分の様な凡人には無い強烈なエネルギーを持っている訳だし、何よりこういう人達が存在するから、この息苦しい世の中も少しは面白くなるのではないかと思っているからなのだが…。



(続く)  (前回)



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